半年以上前のことになります。

 

 

大学卒業後、公立高校で半年ほど英語教師をしていた私は

 

ある日を境に学校に行けなくなりました。

 

今日はその日の出来事について書いてみようと思います。

 

 

もしも感じやすかったり、同じようなご経験があるなどして見るのが辛い人は、

 

今回の記事はどうぞ読み飛ばしてくださいねキョロキョロ

 

 

 

それでも、

 

「こんなに状態が落ち込んだとしても、いつかまた元気になれる日が来るよ!」

 

ということを、どなたかに感じていただけたらと思って書いております。うさぎ

 

 

 

 

 

 予兆

 

 

もう働けないと悟った秋のあの日。

 

数週間前から原因不明の体調不良が続いていました。

 

 

 

体が鉛のように重い。

 

だるいっていうレベルじゃなくて、

 

「熱も咳症状もないけれど、体だけコロナにかかっているのでは!?」

 

みたいな感じ。

 

 

「内臓に何か問題があるのでは?驚き

 

と前の週に内科を受診していましたが、血液検査の結果も異常なし。

 

 

 

  そういえばそのとき、お医者さんに

 

 

  「ストレスが体調に現れることもあるので、

 

  必要であれば心療内科の紹介状を出しましょうか」

  

 

  と言っていただいたのに、

 

 

  「いえ、問題ないなら大丈夫です。うさぎ

 

 

  と答えてしまった私。

 

 

  今思えば、その時すでに「そろそろ限界ムード」が

 

  体の表面から漂っていて、

 

  お医者さんも気にしてくださったのだと思う。

 

  自分で自分の限界に気づけなかったあの時の私、ごめんね。

 

 

 

自宅から学校まで、自転車で12分ほどの道のりが死ぬほど遠く感じられました。

 

体がフラフラしてもはや自転車に乗れなくなっていたので、

 

同じ距離を何とか1時間くらいかけて歩いて登校していました。

 

 

 

※「休む」という選択肢は全く頭になかったんですね。

 

 

「周りの先生も大変な中頑張っているんだし、これくらいのことで休むなんて

 

できない。できるだけ迷惑をかけたくない」

 

 

と思っていました。

 

 

以前、体調不良で休んだ先生がいた時に、

 

周囲の先生達が

 

 

「私は自分の身体に無理がきてるのは分かってるけど、病院には行かないように

 

している。どうせ医者に「休め」って言われるだろうけど休めないから」

 

 

と言い合っているのを聞き、

 

「私も辛いけど、こんなことで辛いなんて言ってられないんだ」

 

と思ってしまいました。

 

 

 

とはいえ、自分の身体に鞭打つように出勤することを続けて数週間経つうちに、

 

「自分の身体が自分のものでなくなっていく」

 

ような感覚になり、いよいよ限界かな、という感じはしていました。

 

 

 

 限界は突然に

 

 

その日は学校行事が行われる日で授業はありませんでした。

 

学校行事という「いつもと違うイベント」に

 

ふっと心が緩んだのかもしれません。

 

 

校庭に立っていたら、ダムが決壊したかのように目から大粒の涙が。

 

「いけない、いけない。教え子たちに涙を見せては」

 

と教職員用のトイレに駆け込み、しゃがみ込んで

 

そこから一歩も動けなくなりました。

 

 

 

ふとん1ここからの記憶がしんどすぎて、もやがかかったようになっています。ふとん3

 

 

人間の脳は不思議です。

 

辛いことがあった時、あたかも映画の中の登場人物を見ているように

 

思い出にフィルターをかけることがある。

 

そんなわけで、私の教員時代の記憶はどこかいつも夢の中のようです。

 

 

 

 

ある先生が、トイレで動けなくなっている私を発見し、校長に連絡してくださったようです。

 

校長室に連れられて校長先生と話をしましたが、私は既にまともに話ができない状態でした。

 

 

そのまま校長先生に連れられて心療内科へ向かいました。

 

下った診断は「うつ病」

 

しかし、そこでの医者の対応がさらに私を苦しめることになります。

 

(この件については次回以降の記事で書きます)

 

 

 

 症状

 

 

この日は、一時的にこのような症状が出ていました。

 

 

  • 考えられない

 

頭がぼーっとして理論的に考えられない。

 

ただ自分の奥底にあるのは、「このまま死ぬんだ」という強迫観念

 

 

  • 応答できない

 

周りの人に何か聞かれてもワンテンポ、いや10テンポくらい遅れてしまい、

 

ほとんどの質問に答えられていませんでした。

 

まともに考えられないので当たり前といえばそうですよね汗うさぎ

 

 

  • 文字が書けない

 

病院の待合室で問診票に記入しようとしても、文字が書けない。

 

 

また学校を出る際に、1時間単位で休暇の申請をするのですが、

 

その時間の計算すらまともにできず、

 

ぐちゃぐちゃの文字で記入した用紙を事務室に提出し、

 

(事務室の方)「え...?」

 

という反応をされたようなおぼろげな記憶がショック

 

 

  • 吐き気、めまい、頭痛、過呼吸、号泣のオンパレード

 

病院から学校に帰ってきた直後、

 

今までに経験したことのないような激しさで、吐き気、めまい、頭痛、過呼吸、号泣

 

のループが襲ってきて、本当に辛かった...!

 

この複合的な発作が5時間ほど続き、精神的・身体的にエネルギーを使い果たしました。

 

 

 

 

 

 家族の愛に救われて

 

 

地元から離れ、県外で教員生活を送っていたもも姉ですが、

 

校長先生の連絡を受けてすぐ、父親が仕事を切り上げ、新幹線に飛び乗り、

 

当日の夕方には勤め先の学校に迎えに来てくれました。

 

 

 

発作に苦しみ、自分の現状が受け入れられず、

 

「このまま死ぬかもしれない」

 

というとてつもない恐怖の中、

 

 

「父親が迎えに来てくれる」

 

ということだけが希望の光でした。

 

 

 

そしてはるばる迎えに来てくれた父親が一言、

 

「よく頑張ったね」

 

その一言で安心でき、やっと落ち着いて眠ることができました。

 

 

 

もし、あのまま一人暮らしのアパートに帰って一夜を過ごしていたら、

 

私は何をしていたか分かりません。

 

ギリギリのところで、周りに助けられ、そして家族に救われました。

 

 

このときほど家族の愛に感謝したことはありません。

 

 

 

 

 現在

 

 

この日から休職して退職、現在に至ります。

 

 

今は教員をしていた頃と比べると収入は安定していませんが、

 

完全にと言えるほど回復し、何倍も楽しく人生を生きられています。

 

そして家族のそばにいると大きな安心感があります。

 

 

今は安心できる環境で十分にエネルギーを蓄えて、

 

また新たな環境に飛び立てるよう準備を進めています。

 

 

そして小さい頃からお世話になっている家族に、

 

これからも大きな愛と感謝を伝え続けていきます。

 

 

 

 

ここまで読んでくださりありがとうございました。

 

今悩んでいる皆さまの前にも、明るい道が開けますように。

 

さてさて、ブログを開設してからこんなに間が空いてしまいました...犬

 

カバー写真は学生時代の思い出、フィンランドコーヒーです☕️

 

 

今日は近況のご報告です。

 

 

ご報告:3月に正式に教員を退職し、フリーのビジネス翻訳者を目指すことにしました。

 

 

ご報告は上の通りです!

 

 

昨年の10月に休職し、12月に休職期間が明けたらまた学校で働こう...

 

と当初は思っていたのですが、

 

やはり一度切れてしまった気持ちを取り戻すのは難しく、

 

最終的に休職期間は約6ヶ月となりました。

 

(それまでは気持ちだけで何とか毎日を繋いでいた感じでした)

 

 

「こんなに長くお休みして辞めるのは申し訳ない...」

 

という気持ちもありましたが、

 

しっかり考えた上で決断ができたのでよかったかなと思っています。

 

 

辞めると決めた時、

 

「教員になったのだから、次も教授経験を活かした仕事に就こう」

 

とも考えましたが、

 

 

天職だと信じて飛び込んだ教員の仕事が驚くほど合わななかった。

 

世の中には沢山の仕事があるのだから、きっと意外なところに

 

歯車がピタッと合う仕事があるはず!

 

「教える」以外の仕事も経験してみたい!

 

 

...と思いまして、とりあえずは

 

今やりたいと思うことを素直にやってみることにします。

 

 

一度どん底まで落ちてしまって、

 

働く気力も意欲もなくなったかのように思えた日々でしたが、

 

 

自分の中に最終的に残ったのは

 

「それでも私は英語が好き。言語と関わっていきたい」

 

という思いだけでした。

 

 

 

これから、自分に合うフィールドを模索していきます!

 

 

 

自分のやりたい仕事って、見つけるのが本当に難しいですね...

 

「高校の先生になって英語の楽しさを伝えよう!生徒を育てたい!」

 

と意気込んでいた大学生時代。

 

自分の夢を見つけたかのように思えましたが、今思えば

 

 

 「先生の期待に応えたい」

(高校時代の恩師に「教員になったら?」と言われたことがあります)

 

 「安定した職種に就いて親を安心させなければ」

(小学校低学年から不登校で、親には心配ばかりかけてきました)

 

 

という思いも大きかったのかもしれません。

 

 

「〜したい(願望)」と「〜しなければならない(義務)」は時に紙一重です。

 

自分の心に従って下したはずの決断が、実は他人軸になっていた

 

ということもある。

 

 

人生の大きな割合を占める「仕事」。

 

「自分が人生をかけて本当にやりたいことは何だろう?」

 

という問いと向き合いながら、新たな日々を一生懸命に生きていきます。

 

 

沢山ご迷惑をかけてしまった周りの先生方や担当していた生徒には、

 

今でも本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 

 

まだ思い出すのは辛いですが、多くのことを教えてくれた職場に

 

感謝して、少しずつ前に進んでいきます。

 

 

はじめまして。

 

もも姉です!

 

 

私は、大学卒業後すぐに高校の英語の先生になりました。

しかし働き始めてすぐに「自分に向いていない」と気づき、
がむしゃらに働き続けた結果、
1年目の10月に適応障害と診断され退職しました。

 

このブログでは、

○学校現場で直面した先生たちの過酷な労働環境の実態

○3ヶ月の休職期間で見えてきた「自分らしさ」

○これからのこと

などについて綴っていきます。

 

 

どうぞよろしくねニコニココアラ