昨夜
3月4日の午後9時50分頃
結弦くん 逝きました。
生き抜いて 生き抜いて 頑張ったけど
体調を崩してから 半年
大学病院で悪性リンパ腫という病名がついて
Lーアスパラギナーゼという注射と ステロイド投薬治療開始してから
丁度5か月目でした。
このLアスは 副作用のほぼない抗がん剤らしく
あくまで 緩和ケア(少し寿命が延びる)という事でした。
週に一度の注射に通いました
毎回 一万円以上 かかりましたが
それでも 結弦が 少しでも長く生きてくれたら
というか
心の準備をするまでの期間です。
エゴかもしれませんね。
11月のころ その注射が効かなくなったことがあります。
医師から 余命一か月と言われ
個人病院に戻ったほうが
この先 点滴治療とかを考えた場合は
その方がいいでしょう。と
個人病院に戻りました
が このLアスが また効くようになって
体重も 一時は 2キロ台だったのが
3.45キロまで 増えて
まるで 病気が 嘘かのように 以前の結弦になっていきました
が
今年 2月の後半になってから
固形物を 殆ど 食べれなくなり
亡くなる3,4日間は 水のみ
最期は 介助して シリンジで 飲ませてました
その頃は もう 寝たきりのオムツでした。
この日曜日に 息子が会いに来てくれました。
そう 結弦の名付け親でもあり
一人っ子の息子にとっては 弟のようであり
今年30歳になる息子の人生の 丁度半分を 結弦と過ごしたことになります。
結弦を家に迎いいれることになった時のお話ですが
その頃 ワタシは 心を病んでいました。
病院を受診していました。
保護猫活動されている里親さんのところへ行った時
今日デビューの一番小さな子が 結弦でした。
「チビちゃん」って呼ばれてた その子は
保護された時 もう一日遅かったら 亡くなっていたと言われていました。
その子を連れ帰り
病院に予防接種に連れていくと
お腹の中に 虫がいると言われ
除去しました。
が ワタシは 生まれてから
犬しか飼ったことがなく(結婚するまでは ずっと犬のいる生活)
猫ちゃんは 初めて
しかも わずか700グラムの その小さな子を
その当時のワタシには
育て上げる自信がなく
それに 息子が くしゃみ連発(一緒に暮らすうちに そのくしゃみは 緩和されました)
「やっぱり 里親さんに返しにいってはダメ?」と 聞きました。
息子は
「僕 また 一人になっちゃう」と 学校から帰宅して 大泣き
主人にも 「何てことを言うんだ」と 怒鳴られました。
あの時は 本当に 自分でも 「なんて酷いことを言ってしまったんだ」と
自己嫌悪で 大泣きしました。
そこからは 結弦のお母さんになろうって
結弦が ワタシを 結弦のお母さんに成長させてくれました。
亡くなる日の夕方
それまで 寝たきりだった結弦が
腕を 差し出すんです。
まるで 「手を握ってて」と言ってるように
目は もう 虚ろですが
手を握って
「大丈夫 ここにいるからね」
何度も 何度も 「ありがとう」「大好きだよ」を伝えました
一日でも長く生きていてほしい
と
もう 頑張らなくていいよ
答えのでない ワタシの気持ちでした
亡くなる時
今まで聞いたことのないような声で 鳴きました。
(あ~逝っちゃう)
「お母さんは ここにいるから 大丈夫だから」と
何度も 伝えて
そのまま・・・逝きました。
頑張ったね~
本当に 頑張りました!
病院の先生も びっくりするほど
頑張りましたね。
大好きな結弦、ゆづくん、ゆーちゃんへ
今は もう 苦しくないですよね、楽になったよね。
いつか お母さんが そちらに行ったら
今度は 結弦が ワタシを見つけてください
あの里親さんの家で ワタシたちが 「チビちゃん」と呼ばれていた
可愛い子を見つけたように・・・
そして また 結弦のお母さんにしてくださいね。
本当に頑張ったね。本当にありがとうね。
そして 本当に 本当に 大好きだよ。
そのいつかまで・・・寂しいし、悲しいけど
家のあちらこらちに ゆづくんの気配が残ってて
泣いてばかりになるだろうけど
今も 目が ポンポンに腫れてるし
自分が 立ってるのさへ よく分からないけど
心の中には いつも ゆづくんが いるからね。
ゆづくんのお母さんより
しばらく 立ち直れないと思うので
ブログは 休みます。

