“お笑い界の帝王”ダウンタウンも賞味期限切れのようだ。
「先に消えていった“ウッチャンナンチャン”と同じ運命をたどるのは時間の問題」と語るのは数々のヒット番組を手掛けてきた民放プロデューサー。
ダウンタウンは“視聴率請負人”と持てはやされてきたが、テレビ界の評価は下がる一方だという。理由は4本ある冠番組の低視聴率化。
「10月に入ってからの平均世帯視聴率は軒並み8~12%前後。15%超えの番組はゼロだった」(番組関係者)10月の視聴率は「ダウンタウンDX」(日 本テレビ)が12.2%、10.1%、8.8%、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」(日本テレビ)が9.8%、11.1%、
12.7%、「リンカーン」(TBS)が10.2%、8.9%、「ヘイ!ヘイ!ヘイ!」(フジテレビ)が
12.9%、12.8%、8.2%、これを人気放送作家は「ダウンタウンさんの笑いが時代についていけなくなってきている証拠」と辛口の分析をする。
バラエティーの低視聴率化も叫ばれているが、「『めちゃイケ』や『とんねるずのみなさんの
おかげ』などは20%近い数字をとっている。
ダウンタウンが数字を取れない理由にならない」(民放編成関係者) という厳しい声もある。
すでに来春以降レギュラー番組の何本かは打ち切られる方向で調整中だとか。
ダウンタウンにも秋風か・・・
 26日午前9時6分、予定の9時より少し遅れてダークグレーのスーツ姿の亀田興毅が会見場に到着した。 亀田興毅「遅れて申し訳ございませんでした。色々とご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。まず内藤選手にお詫び申し上げます。ほんまに、申し訳ございませんでした。自分を含め、大毅、オヤジの今までの言動など、深く反省しています。自分達亀田家のせいでボクシング界全体のイメージが悪くなり、ボクシング関係者、ボクシングファンの方にご迷惑をかけ申し訳ありませんでした。亀田家代表としてお詫び申し上げます」 ―なぜ、父親が来ないのか。 興毅「オヤジが全部、自分が悪いということを言ってました。まあ、オレが悪かったと言ってた。これを機に、お前達は練習してもっともっと強くなってくれ。オヤジは言い訳はしないといっている。深く反省している」 ―反則の指示をしたのかしないのか明らかにしてほしい。 会長「すべてのことは言い訳をしないと昨日、史郎氏から連絡があった。言い訳をしないということは認めたということだと思う。私は反則の指示があったと思う」 ―ひじでもいいから目に入れろ。これを言ったことは間違いないか。 興毅「はい」 ―どういう意味で言ったのか? 興毅「特別な意味というか、大毅の初めての世界タイトル戦だったので、頭が真っ白になっていた」 ―反則の指示なのか、亀田用語なのか。 興毅「あんときは頭が真っ白になっていた。あの試合のことはあまり覚えていない。事実、ああいう風に映像も残っているし反省しています。申し訳ございませんでした」 ―興奮してああいう話になったのか。 興毅「そうかもしれません」 ―認めるのか。 興毅「はい」 ―父親は辞職すればそれでいいと思っているのか? 謝罪はしないのか。 興毅「オヤジも自分で悪いと反省してるし、だから、こういうような(辞職)結果になったと思います」 ―父親が会見しないのは疑問に思わないか。 興毅「見てたファンもおったと思うし、ファンのみんなにあんな試合で申し訳なかったと思います」 会長「自分が出てきたら、この会見をしようとした興毅に申し訳ないと思ったのではないか。もう意思のある大人なので、出て来いといって出てこさせるものではないと思う。今日の会見が厳しいものになることは興毅にも言った。興毅は上手に自分の言葉で話せないかもしれないけど、ここに出ていることを評価してもらいたい」 興毅「オヤジはみんなも見て分かっているとおり、ああいう性格で不器用な面もあるし、ややこしくなるかもしれないし、お前らに迷惑をかけるかもしれない、と言っていた。俺が行く、オヤジの次は俺だと思った。俺は亀田家の長男として亀田家代表としてここに来ました」 ―どうしてああいうパフォーマンスだったのか。 興毅「行き過ぎたところもあったと思う」 ―お父さんの考えか。 興毅「パフォーマンスとは試合に向けての作戦ということもある」 ―どういう点が行き過ぎだったと思うか。 興毅「全体的に。ビッグマウスとか言われてるけど、そのとこで色々と段々、大きくなってきたから」 ―ハンバーガーを食べながらとか、会見での暴言とかは興毅が考えたのか父親の指示か。どういうところから生まれたのか。 興毅「まあ、全部自分で相手にプレッシャーをかけるためにやったこともあります。ハンバーガー食べたら、あの時は計量の1日前だったから、そのときに食べたら相手、減量きつくないんかな? という風に思わせてプレッシャーかける。計量1日前に水を飲んだりして相手にプレッシャーをかける、そういうパフォーマンス」 ―今思えばやりすぎたと思うか。 興毅「やりすぎの面もあったと思う」 ―父親の「ワシはいじめっ子だ」という言葉があった。それに対してどう思うか。 興毅「そういうところも、やっぱりちょっと行きすぎた。それを反省してこれから一日も早く心を入れ替えてやっていきたい」 ―テレビ局の演出などでそのようなパフォーマンスだったか。 興毅「テレビ局は関係ない。自分達で考えて俺らなりに頑張ってきた」 ―父親の教えは正しかったと思ってるか。 興毅「ここまで育ててくれたし、俺がここにいるのはオヤジのおかげ。オヤジには感謝している。世間では悪く思われてるけど、俺らの中では世界一のオヤジだと思ってるから(涙声)」 ―親離れとなるのか。 興毅「オヤジはオヤジで変わりはないので。どういうとこが好きとかそんなのないけど、でも、オヤジは俺らの親だから、いつまでたっても、それは血のつながったオヤジだし…」 ―これからお父さんと離れて練習するが。 興毅「大丈夫です。気持ち入れ替えてまた次、2階級制覇に向けて頑張って行きたい」 ―新たなトレーナーの下で不安はないか。 興毅「いろんなトレーナーから違うアドバイスとかもあると思う。亀田スタイルを変えないというより、新たな亀田スタイルを兄弟で作って行きたい」 ―まったく違うトレーナーになる、お父さんのボクシングから離れることはどう思うか。 興毅「つらいところもあるし、今まで小さい頃からオヤジのやり方でやってきたので。でも、俺ももう20歳超えてるし、いつまでもそんなことは言ってられないし。これからは俺は自分の力でやっていきたい」 ―弟の大毅は。 興毅「大毅はずっとあのような状態なので、会話といってもまだ一言二言しか話せない。ただボクシングは続ける。18歳で世界挑戦まで来た選手なので、これから大毅にも頑張ってもらいたい。これから兄弟3人で頑張ることがオヤジへの恩返し。大毅は自分で何があかんかったか分かってるから、もう1回立ち直って頑張ってくれると思う」 ―まだ自分は強いと思うか。 興毅「そう思う。これからも頑張って行きたい」 ―ファンに一言。 興毅「いつまでもこういう姿ではなく、明るい姿を見せたい。早くリングに上がって闘って、勝って喜んでもらいたい」
米国オハイオ州マンスフィールド在住のカメラマン、ジム・ワグナーさんは、先日、古い写真や書類を整理しているときに、若いカップルが写っている1組の結 婚式写真を見つけた。ワグナーさんは今年で80歳。その1組の写真は、彼がまだ53歳だった1980年に撮影したものだった。
ワグナーさんは、普通なら新郎新婦に渡されているはずの結婚式写真が自分の手元に残っている理由を思い出した。あれから27年、2人がまだ健在であり、まだ夫婦でいるなら、ぜひ届けてやりたいと思った。

27年前のその日に夫婦となった2人の氏名は幸いなことに、すぐにわかった。マーク&カレン・クライン夫妻だった。問題は、現在の2人をどうやっ て探し出すかだった。ところが数週間後、ワグナーさんは偶然にもカレン・クラインさんの継父に当たる人物とばったり出くわしたのである。

こうなれば後は簡単だった。マークさんとカレンさんがまだ健在であり、まだ夫婦であることが判明した。カレンさんが働いている軽食レストランの場所も分かった。

そして、結婚式写真を見つけてから約1ヵ月後のある日、ワグナーさんはカレンさんが働いている軽食レストランに顔を出した。カレンさんが怪訝そうな表情で応対すると、ワグナーさんは結婚写真を取り出して彼女に見せた。

マーク&カレン・クライン夫妻はあの日から27年間、仲睦まじく暮らしてきた。だが、結婚式の写真と言えば、2人が腕を組んで歩く姿を参列者の誰かが取ってくれたたった1枚の素人っぽい写真しか残っていなかった。

カレンさんは、18歳で式を挙げたあの日、プロ・カメラマンのワグナーさんが撮ってくれた写真にうっとりと見とれたことを覚えている。だが、若い2人には、たった150ドルの写真代を捻出する余裕すらなかった。カレンさんは、悲嘆に暮れながら写真の購入を断ったのだった。

ワグナーさんがカレンさんに差し出したのは、紛れなく、あのときの写真だった。彼女の心に熱いものがこみ上げないはずがなかった。カレンさんは一瞬の絶句の後、感極まって号泣し始めた。遠慮なくワグナーさんに抱きついた。いつまでも涙が止まらなかった。

涙ぐみながらもカレンさんは小切手帳を取り出して、150ドルの小切手を切り、ワグナーさんに手渡した。今度は、ワグナーさんが感極まって号泣する番だった。

現在と過去がつながるとき、人は制御しようのない感動にむせぶことがある。今までマーク&カレン・クライン夫妻が27年前のあの日を思い出す視覚的な手がかりと言えば、誰かが撮ってくれた1枚のスナップ写真だけだった。それだけでも宝物のようなものだっただろう。

しかし、あの日、喉から手が出るほど欲しかった写真が27年ぶりに戻ってきたのである。結婚式を挙げた日の思い出や記憶だけでなく、その後の27年間のあらゆる苦労や喜びに彩られた万感の思いがカレンさんの胸を去来したに違いない。

ワグナーさんが27年ぶりに150ドルの小切手を受け取って涙を流したのは、もらい泣きだったかもしれないが、自分の撮影した写真が現在と未来をつなぐ役割を果たせてカメラマン冥利に尽きる部分があったのかもしれない。