私は今から約7年ほど前から
自分の使命を探求してきたのですが
そのことからしても
「何かをしなければならない」
と、使命感のようなものを深いところ(魂のレベル)でいつも感じているなぁ
と自覚しています。
ただ外に向かって愛を放って生きること。
これが使命の大枠だということが分かっている今
その形ってどんな形でもいいんだってことも
分かっていて、
それが
今営んでいる喫茶店での仕事の一つ一つもその
愛の活動だし
SNSやブログで発信することも同じように
愛の活動であって
ただただこの本来の、ありのままの自分で
魂が喜ぶことをしながら生きているということが同時に
人のお役に立ち、人にそのビジョンを見せることになるのだということも
知覚しています。
でもそれでも私にとっての今の喫茶店の仕事は
過去の自分が創り上げた現実。
そして
SNSやブログで目覚めた意識の自分自身の言葉を発信することの方は
より目覚めた
本来の自分自身になってからの自分が創り上げていく
本当の魂の望みを叶える未来に
繋がっていく方の活動なので
どっちもやりたいことではあるのだけれど
種類とステージがちょっと違っていて、
後者の方をもっとやりたい(やらなきゃという使命感も同時にある)のに
前者の活動の方にも時間とエネルギーを割いている現実があることで
なかなか思い描くほどにはできていない
というもどかしさを感じています。
でもこの
「何かをしなければならない」
という感覚は
魂のレベルで刻見込まれているクセのような感じなので、
私の場合
逆にこの「枠(わく)」とも捉えられる思い込みのクセを外す必要があると
感じているのです。
「ねばなはない」ことなんて、
本当は無いのです。
でも私の場合は
そう思ってしまいがち、そう感じてしまいがちで
いわば
正義感や使命感に起因する、
「Do(行動する、何かをする)のエネルギー」
に傾きがちです。
それは気をつけていないと
行き過ぎた場合
「自己犠牲」という領域にまで傾いてしまいがちで
気づかないうちに不調和の状態を招いてしまう可能性があります。
↓
参考記事:自己犠牲は不調和
「やりたければやればいいし
やりたくなければやらなきゃいい」
つまり、
「ありのままの私でいればいい」
というスタンスで
「Be(在る、受け取る)のエネルギー」を
常に意識しておくことで
そのクセを解消することが課題だなぁということが自分の中で
再浮上してきました。
同じように私の姉は
魂のクセとして「恐れ」が深いところに根付いているるということがわかっていて
何かにつけて警戒心を抱きがちだったりということとして現れています。
とまぁ、こういった今日の私の感覚を言語化してみました(^ ^)
皆さんはどんな魂のクセがあるでしょうか?(^ ^)
写真は今、姉が淹れてくれた
愛の珈琲(^ ^)
おいしすぎ(^ ^)
という、私の人生ストーリーを公開しています。
ピンときた方は過去の記事から読んでみてください(^ ^)
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