幼い頃、私は心に鍵をかけました。
いろいろな色のビーズを繋いだ思い出も、いろいろな草花の香りを楽しんだことも、もう戻れない現実を鮮明にしてしまうから。
本当に辛い時、明るさや温かさは毒のように心を締めつけます。幼心が本能的に選んだことでした。
それからは良いことも悪いことも他人事のように思えて、誰と話すのもしんどくなりました。図書室や自室にこもりがちになり、テレビも見なくなりました。
それが、当たり前になっていた25歳の頃に短歌に出会いました。
「短歌にだけは自分に嘘をつかず、本当の気持ちを詠っていきたい。」
たった一つの想いが、私をここまで導いてくれました。
45歳で大西民子賞、50歳で短歌海流賞をいただきましたが、この賞をいただいた時に感じたのは、喜びよりも安堵感でした。
「ああ、私のまんまで生きていていいんだ。ありのままの私でも何か出来るんだ。」
短歌をされている方にはいろんな方がいて、才能をすぐに開花出来る方も大勢います。
私はそんなに才能はないかもしれません。でも、短歌が暮らしにあったから、苦しかった思い出を一つずつ短歌にしていくことで、客観的に見ることが出来たり、自分を諦めずに歩むことが出来たりしました。
今ではあのひとりぼっちだった時間も大切になりました。
あの時間に感じた苦しみ悲しみは、誰かの短歌を読んだ時の感受性になります。
全てを閉ざしたあの時間に読んだ松谷みよ子さんの民話、ギリシャ神話、戦争時の写真集。一人で呟いていた童謡や唱歌。
全てが今の自分に繋がります。パンドラの箱を開けるように短歌を詠った25年間は、たくさんの悲しみを思い出させましたが、私の掌には希望が残りました。
「希望を心に保てるようになった自分を大切にしたい。」
これからは私を救ってくれた短歌をあの頃の自分のように、ひとりぼっちを感じる方に届けていきたいと思います。