幸せの定義 #03
微かな幸せは幸せと呼べるのかいつからか私の体は、どんどん動かなくなっていった。思考力も低下し、買い物に出ようと外に出てみると、何もかもが逆さまの世界に居るようであった。看板の表札、信号は何色で渡って良いのか、帰り道はどう行けば良いのか、ここはどこか。見慣れた景色ですらあべこべに見えていた。私の横を通過する人にすら恐怖を抱き、サングラスで目を覆うようにした。今までしていた勉強もできなくなり、メールの文字も読めず、ひらがななら少し読めたが、話すことも困難になった。その様子を見た夫が、私を精神科病院に連れて行ってくれた。道中しきりに私は夫に「私大丈夫?」と聞いていた。今思えば何故尋ねていたのかも不明である。病院の待合室で何度も過呼吸を起こしそうになったが、夫が持ってきてくれていた紙袋で、事を防いでくれていた。いよいよ診察となったとき、お医者様に「ゆっくりでいいので今どんな感じか教えて下さい」と言われた。なんとない投げかけであった。しかし私はいきなり過呼吸になり、大号泣した。「ここはどこ」「いやだ」「ごめんなさい」そんな事を言っていた気がする。とにかく終始泣いて最初の診察は終わった。事の次第は全て夫が説明してくれた。 私は鬱だと診察された。薬を出され、タクシーで夫と帰宅した。その日夫は仕事を休んで病院に付き添ってくれていたのだ。私は大事にされていると、混乱した頭で思っていたのを覚えている。その後も月に一度の診察に夫は会社を休んで、3回ほど付き添ってくれた。午後から出社する時もあったが、私は少しずつ安定していった。 しかし、GW寸前に夫から突如告げられた。「GWに友人とタイに海外旅行に行くから。」と。しかし私はまだ一人で外出できる状態ではない。そしてその旅行に行く夫の目的は、この場所では書けないような目的のためであった。私は何度も「今はお願いだからいかないで」と訴えたが、無視を貫かれた。GWまるまる一人で過ごすことは私には困難だったため、自身の母に電話をした。しかし母が「もしもし」と言っているのに、声が出ない。呼吸が荒くなる。大好きな母に対しても、会話することができなかった。私のスマホを夫が私の手から取った。「もしもし。娘さんはカクカクシカジカで今現在うつ状態です。僕はGWにタイに旅行に行くので、そちらで預かっていただけませんか」淡々とした口調であった。たしかに夫にも休暇は必要だったであろうが、その旅行の目的を知っている私にはひどく冷たく感じてしまった。私の両親もあとから聞いた話ではあるが「妻が鬱なのに一人で海外旅行はなにかおかしいと思った」と言っていた。 そして私は父に迎えに来てもらい、GWに実家に帰ることになった。ひたすらなにも言葉を発することなく、食事も取れなかった。きつい状態であったことは覚えている。ほとんど記憶がないまま、夫がランランとタイ旅行から帰還した。そしてまた病院に行く日になった。すると夫は「君の鬱はどうせ嘘なんだろ。お金の無駄だ。そろそろ演技をやめて、しっかり家事をこなしてくれ」と言い放った。 鬱の治療中に急に薬をやめるのは、悪化の原因とされる。そんな事もお構いなしであった。なんの得があって不自由に暮らそうと私が演技し企むのか。なんのために自分から不幸に突っ込んでいくのか。一時的に優しい夫だった。僅かな幸せ、突然の裏切り。私の地獄の第二幕が開催される。