2018年3月12日10時55分
母が亡くなった。

2016年7月に膵臓癌が見つかった。
見つかった時は、ステージⅣ。
手術できない状態だった。

母はセカンドオピニオンを受けたくないと言った。
母は抗がん剤治療を選択した。
私は抗がん剤治療は反対だった。
「他にもこんな治療法があるよ」と言っても、母は聞く耳を持たなかった。
私は、生活習慣を変えようとしない母に厳しい事ばかり言っていた。

母は本当に膵臓癌?と思うくらい元気だった。
でも、2017年11月に使える抗がん剤が無くなった時から、しだいに元気が無くなっていった。
そういう状態になって、私はようやく母が頑張っていることを受け入れることができた。
私がしてやりたいことじゃなく、母が望むことは何かを考えるようになった。

2018年2月21日に緩和ケア病棟がある病院に入院した。
母は貯金が好きだったが、自分のことにお金を使うことはなかった。
病室は、個室の特別室だった。
母は、効果があるかわからない高額の先進医療にお金を使うより、最後に贅沢できて良かったと言った。

入院して少し元気になったような気がしたが、やはり日に日に弱っていった。
そんな母を見るのが辛かった。
生きてるのは痛くて苦しいだろうな。
死んだら苦しみから解放されるんじゃないかと思った。
でも、母は、お見舞いに来てくれる人に心配かけないようにしていた。
自分が苦しい時でさえ、人のことを思いやる優しい人だった。
看護士に迷惑を掛けないように、ナースコールもあまり使わなかった。
毎日、母の病室には、誰かがお見舞いに来てくださった。
人から愛された人だった。

最期は、家族(父、私、弟)や友人に見守られながら、痛み止めの薬によって、眠りながら逝ってしまった。

葬儀には、多くの方が来てくださった。
遺影は、母らしい笑顔の写真にした。
その写真を見ていると、今にも母の笑い声が聞こえてきそうな気がする。
でも、20年前の写真なので、写真を見た人から「何年前の写真?」と聞かれる笑

以前、母に「お母さんにとっての楽しみは何?」と聞いた時、母は「友人と一緒にスーパーへ買い物に行き、帰ってきて家でコーヒーを飲みながら話すこと。ごく普通のことが幸せでいっぱい」と言った。

普通のことが幸せ。

その時は、わかったつもりでいたけど、わかってなかった。
頭でわかることと、実際にわかることは違う。
今やっと、母が言ったことがわかったような気がする。

母に会いたい。
母ともっと一緒にいたかった。

お母さん、ありがとう。
私は、お母さんの娘で幸せです。