世界観15   感情に蓋をしてきた ②

 
小学校高学年になって、母がお酒を辞められない問題について
図書館で調べたりするようになりました。
母が「アルコール依存症」という病気だという事を知ったのは
この時が初めてでした。
 
大好きなお母さんがアルコール依存症という
得体の知れない病気であるということに
とても衝撃を受けたのを覚えています。
 
それからは、何とか母にお酒をやめてもらいたいと思い
お酒を隠したり、酒の瓶に水を入れて薄めてみたり
夜遅くにお酒を買いに出かけようとする母を
泣いて止めたりしていました。
母が酔って暴れている様子を
カセットテープで録音して聞いてもらったりもしました。
 
毎日毎日頭を捻って、
私の頭の中は母を治すことでいっぱいだったのです。
 
それでも母の病はひどくなるばかりでした。
 
タウンページで近隣の精神科などをリストアップして
父に「お母さんを助けてあげて!病院に連れて行ってあげて!」と
必死でお願いしたこともありました。
 
でも私の父は言葉をかけても伝わらない
気持ちをぶつけても父の体をすり抜けて
行き場のない虚しさと怒りが募るばかりでした。
 
存在しているのにそこにいないような
父性というものが本当に不透明な人で
「祈っていれば必ず治るから」
「お父さんが祈りでお母さんを助けるから」と言うばかり。
本気で、本当に母を助けようと思っているのか
私にはどうしても解らなかった。
解らないことが苦しくてたまらなかった。
 
そしてまた夕食を食べると自宅を出て事務所に行ってしまう。
残された私と、
不平、不満、愚痴
「もう死んでしまいたい。生きることに疲れた」と繰り返す
酩酊した母の二人きり
長い長い夜が私にとっての日常だった。
 
強烈に覚えているのは小学校5年生の頃、
寒い冬の時期だった。
 
私は夕食の席で父と母に初めて強い感情をぶつけました。
「この家は普通じゃない!
お父さんもお母さんも絶対におかしいよ!」
 
そう言って私は家を飛び出しました。
近所の公園のブランコに座ってひとしきり泣いて、泣いて
街灯が暗くて怖かったのと、恐ろしく寒かったのと
「どこにも行く場所がないなあ」と思っていたことを覚えています。
 
寒さに耐えられなくなって家に帰ると、
母は酔いつぶれていびきをかいて寝ていました。
事務所に行ってみると、父は仏壇に向かって祈っていました。
 
探しに来てくれなかった、迎えに来てほしかった。
その時の私は、真っ暗で寒い井戸の中に
一人で置き去りにされたような気持でした。
底辺というよりも、底なしの孤独。
どこまでこの寂しさが続くのかわからなかった。
 
今思い出しても本当に悲しくてしょうがない記憶です。