いつくらいからだろう。
こう、なんて言うのか、
時代、時間の流れ?
移り変わり?
歳とともに周囲の環境や街並み、
考え方とか感じ方が、
少しづつ変わっていく。
それ自体は自然の流れによるものだから、
当然といえば当然かも知れない。
ただ、ここ数年の移り変わりという変化が、
どうにも強引な気がする。
自然の流れに逆らうという表現が適切かどうか………
なんか、こう、無理矢理に
自然と見せかけて
不自然な方向へ
何者かが動かそうと
しているような気がしてならない。
そして、それに気づかず、
さも、自分の意思でそうしているように、
人々がその妙な方向へ向かわされている。
そんな感じ。
ものごとを深く考えることをしなくなったばかりか、
じっくり考えることを「考え過ぎ」と、やや敬遠気味にとらえ、
なにごとも深く考えずに安易に考え、安易な行動をとる。
スマートとかシンプルと言葉にすれば、
軽やかで軽快なイメージではあるが、
「考えること」さえもスマートとかシンプルにと言って軽率に考え行動してしまうサマは、
ボクには薄っぺらい人のように見えてしまうのだが。
スマートレジとかキャッシュレスなど、社会のあちこちにもスマートとかシンプルを前面に押し出し、推し進めているようにも見えるけど、
コンビニの支払いなんか、昔より面倒くさくなったと感じてるのはボクだけか………
企業や公共機関などの問い合わせなんかも、
音声ガイダンスというものに合わせながら、項目を選び進めるというまどろっこしさに加え、問い合わせたい内容に該当する項目がなかったときの苛立ちと、かけた時間の無駄さを痛感するのはボクだけか………
制服の威厳といって、
医者の着る白衣をまとって、
「あなたは風邪です」とか
「入院が必要です」とか
「手術が必要です」とか言われたら、
なんとなくその気になってしまう。
インテリ風のメガネをかけていれば、
それだけでちょっと賢そうに見えてしまう。
そんな感じで、いかにもな風貌で、
「あまり考えるのはよくないこと」とか
「今の時代は言われたことだけやっといて、あまりこだわるのは時代に合わない」なんて言われたら、
全員ではなくとも、結構な数の人が流されてしまうのではないか、
ボクはそういうのを誘導とか圧力のように捉えてしまう。
自ら深く考えることをやめてしまうと、
周りのやってることに合わせていれば大丈夫、考えなくても大丈夫、それが正しいと、
思わされてしまって、気づかない。
そんなふうに人が人であるべき姿とは逆の方向へ向かわされている。
そんな気がする。
考えることをしなくなったがために、
おかしいことに気づくこともできず、
ただなんとなく周りに合わせて惰性で生きる。
よく理解できないままに、周囲と無用な競争心理だけ植えつけられ、争う。
なんか、釈然としないんだけど、
俯瞰視してると、周りがみんな違う方向へ進んでるようで、
それを観ながら立ち止まって考える自分が、今ここにいる。
と、ちょっと取り留めもない気分でいます。