風丸の駄文 -26ページ目

風丸の駄文

いろいろと駄文を重ねてます。
共感、反論あるかと思いますが、ご容赦ください。




ボクの生まれは名古屋。

小学校にあがる手前に、

両親の緒事情で名古屋を離れることになったから、

だいたい5年ちょい名古屋で育ったことになる。


改めて思い返すまでもなく、今が56歳だから、もう半世紀の時が過ぎ去ったことになるんだけど、

それでも未だに忘れずに、しかも鮮明に記憶していることが結構あるのはなぜか?

ボクなりには、目にする世界が全て新鮮かつ目新しいものだらけで、単に好奇心旺盛だったことに加えて、幼少期の吸収力が原因だと考えてる。

不思議とは思えなくとも何故か記憶に残っているシーンが結構あって、

それが今と、今までの人生に何らかの影響を与えているのかと考えても、特に何の意味もないもののほうがほとんどなんだけど、

「あんな時もあったな」と懐かしくなることは多い。

特に、たった5年はどしか過ごしていない名古屋での出来事が、まだ2、3年前くらいのことではないかと思えるくらいに印象的に記憶に残ってる。


その中のひとつに、何歳だったかまでは定かじゃないけど、ばあちゃんの背中におぶわれて近所の八百屋に行った記憶。

まだ自分で歩けなくて、オムツもしていたような記憶があるから、1歳か2歳くらいだろうか……

八百屋でばあちゃんが買い物を済ませ、帰路についた時のボクの手にはだいたい毎回
"グリコ"があった。

そう、キャラメルにオマケがついたお菓子。

今もそうだけど甘いモノ好きは生まれつきなのかとたまに思う。

ばあちゃんにおんぶされて買い物に行った記憶はそこだけが断片的に記憶にあって、

♪ねんねんころりよおころりよ~♪って唄が一緒に記憶に残ってるから、寝付かないボクを寝かすついでに買い物に行ったのかな?と勝手に想像している。

甘いモノ好きついでに、哺乳瓶でミルクを飲んでた記憶もあり、これは自力歩行してた記憶があるから、もう少し経ってからだと思う。

赤ちゃんにとってはミルクは食事。
その頃のボクが食事時間以外にミルクを欲しがったかどうかは覚えてないけど、
ミルクの時間以外のときによく
「あまい湯」という、砂糖をお湯で溶かしただけのモノを哺乳瓶で飲んでた記憶もある。


まだ自分の口でまともに話すことも、自力で歩くこともできない時のことを思い出すことって、誰にでもあることなんだろうか?

何にせよボク自身はこうして今でも覚えているんだから、我ながらに記憶って凄いなぁなんて思ったりする。

そしてこうして、改めて過去を振り返ってみるという行為も悪くはない。

自分だけの記憶というアルバムが頭の中に思い出として色褪せずに残っていること自体が凄いことのように思える。

同時に、このノスタルジックな自分の過去の記憶を好きな誰かに共有したいとも思ったりする。

さらに、こうして振り返っている今の自分が、過去の自分がその時どんな気持ちで、どんな感情で、どんなことを考えていたのかを推測するのも楽しいし、実際にその時考えていたことまで覚えていたりするから面白い。

この「記憶旅行」の内容は完全に独りよがり独善的なモノなので、読む側からすれば面白くもなんともないかもしれない。

でもボク自身はかなり楽しんでるので、意に沿わない場合は読み飛ばしてもらいたい。