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 昭和49(1974)年11月9日午後4時30分ごろ自転車での交通事故で緊急入院、13歳の中学1年生が私でした。この50年、片時も忘れ去ることができなかった日々でした。あの日、事故がなかったらという無念の思いが何度もこみあげてきたことが思い起こされます。その日が明日で50年です。偶然にも同じ土曜日というとに思いが重なります。中学一年生で明日がバレーボールの新人戦、一年生でただ一人のレギュラーということもあり、心弾ませて帰路につこうとしていたのでしょう。逸る気持ちに一瞬の事故が私の人生を一変させたことでした。緊急入院後、意識不明の一週間の間、手術台に縛られて痙攣と引付で親戚のおじさんたちが押さえつけていたと聞きました。10日ぐらいたって目覚めた時、病院のベッドで頭に氷枕と氷のうが5・6個ぶら下がっていて「ここはどこ・・・」と目覚めて横に腰かけていたおふくろに聞いたことはしっかり憶えています。

 

 あの交通事故がなかったら、という無念と後悔の日々が私の中学時代でした。それから、高校、大学と様々な友人と出会う中、なぜ事故に遭ったのかという気持ちよりも、なぜあの時私の命が生かされたのかという気持ちに変化していたを感じ、生きるとは何か。なぜ生まれてきたのか。あの時生かされたことに意味があるのではないかと考えるようになり、これが人生なんだということを感じてきました。あるお医者さんが「物事とは一方的に悪いことばかりはおこらない。もしそう思えないならば、そのことについて真剣に向き合っていないからだろう。」と言われていました。その通り、病院での出来事や事故を通して感じてきた気持ち、「幸福の一つの要因は、事故に遭わないことだ」ということを身にしみて感じたこと、「建設は死闘、破壊は一瞬」等々の言葉や文字が体感できていることもいいことではないのかと思えてきました。ある文学の先生が、「読書して、その内容は忘れるかもしれないが、本を通してほんの一握りの砂金のようなものが心に残りそれが人間を創る要因になっている。」と聞いたとき、人生の深みのようなものを感じて生きてきた50年だったのでしょう。

 

 今年の初め、目の検査から精密検査を受けることになり、頭のMRIから心電図、首のエコーと検査をしました。その時脳内科の先生から、「おおきい脳梗塞の跡がある」と言われ、50年前の交通事故で頭蓋骨骨折の後遺症だと伝えると、「よくこれまで無事に生きてこられましたね」と言われていました。加えてそうなら特段の異常は見当たらないと言われ、時々の不安が解消されたことと同時に、これまで無事だったことを当たり前ではなく有難く思えました。

掲載している千羽鶴は、事故当時、担任の橋田先生が同級生と回復を祈って作り届けてくれた宝物で、実家に50年間大切に飾ってくれていました。加えて、励ましの手紙も添えてあります。現在63才です。やはり人は人とのかかわりの中で生かされ生きているのだということを思いながら、これから生かされたこの命で、その意味を見つけるためにも、よく生きるということが皆さんへの報恩につながるのではないかと感じ、そのことを心肝にそめながら生きていきます。