当今は末法 現にこれ五濁悪世なり

当今は末法 現にこれ五濁悪世なり

死ぬのは怖いですね。清廉潔白に生きることは難
しいですね。自分と同じくらい人を尊ぶことなどできないものですね。末法には聖人君子は存在しません。とはいえ、少しだけでも世のため人のために生きられたならとは思います。

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このブログは今日で最後にします。

その理由は次の通りです。

40歳を迎えた今、私はギターの弾き語りを始めました。そこをとっかかりとして人生を変えていく。大袈裟にいわせてもらえば運命を切り開いていくつもりでいます。

40のおっさんの弾き語りにどれだけの魅力があるか。それはわかりません。興味を持ってくれる人、憐れんでくださる人、蔑んでくださる人、無視する人。いろいろな反応があると思います。

やる以上、私という人間を世の中にひろめていく努力はしなければなりません。その努力を怠るのであれば、弾き語りはただの「素敵な趣味」になってしまいます。

どれだけ素敵であっても趣味は趣味です。趣味に人生をかけるのは道楽者です。道楽で生きていけるのは限られた人たちだけです。私は道楽で生きていけるお金も、才能も持ち合わせておりません。

でも、これしかできない。だったら、道楽ではなく本気にしてしまおうと思い立った次第です。

私は自分を売る必要があります。露出を増やす必要があります。弾き語りですから顔がでます。顔が出る以上何者であるのかバレます。隠していては何も前に進まないのです。

名を公表しなければ本気で戦えないというわけです。

本気で戦う以上二十四時間寝ている間も、そのことを考えることになります。ですから、無記名で書いているこのブログに裂く時間が今の私には無くなってしまったのです。

何より、無記名で書くという覚悟のない行為にたいする罪悪感に耐えられなくなってきたのです。

だったら、このブログで名をさらしてしまえばいいのでは、とも思いました。しかし、それはできませんでした。

このブログに書いていることは全て本音です。本音と本名を結びつけて公にさらす勇気が私にはありませんでした。これはずるい選択です。このブログを読んでくださっていた方々に非礼を働いたことになります。

これまでブログを読んでくださっていた皆様にお詫びいたします。自分の本音を背負って生きることのできない、弱い私をお許しください。

また、図々しいことではありますが、お礼も言わせてください。今までこのブログを読んでくださった皆様。本当にありがとうございました。このブログがあったおかげで、社会から隔離された三年間を発狂することなく生きてこれました。

皆様、本当にありがとうございました! 

最後に感謝を込めてお念仏を申し上げます。

なんまんだ~ぶ なまんだ~ぶ なまんだ~ぶ なまんだ~ぶ らいはい。。。











15年間うたってなかった。

この溝を埋めるのには苦労する。頭のなかにある俺の歌は15年前のまま。

あのころの声はもう出ない。

だったら、今だからこそできる歌い方を見つけたらいい。

過去を懐かしむな。未来を憂うな。今を生きろ。

俺は今、確実に前に進んでいる。

進んでいる道が正しいのかどうか。そんなことはわからない。

ただいえることは、今の俺が全力でぶつかれるのはこれしかないってことだ。






「いつ死んでもいい」っていう生き方ってどうしたらできるんだろうか。

今この瞬間に死んでも納得できる生き方なんてとても思いつかない。

今死んだととしたら、服役中に死んだのと同じようなものだ。

地下室に12時間閉じ込められる毎日。人にも会えない。太陽の光も浴びられない毎日。こんな毎日のまま死んだんじゃあ、納得ところの話しじゃない。

娑婆にでたい。とりあえず、娑婆にでたい。

ここじゃあ、詳しく書けないが、あと一年、この仕事を続けろといわれたら、発狂してしまうか無気力になってしまうかのどちらかだろうと思われる環境に私はいる。

気づいてしまったのだ。この環境が異常であると。このまま10年過ごしてしまったら、取り返しのつかないことになることを。

気づいてしまったらもうダメだ。居ても立ってもいられない。

人はいつか死ぬ。絶対に死ぬ。

そして、このままで死んだら絶対に後悔する。これだけはわかっている。

だったら動くしかない!

今死んだら後悔するような環境に甘んじているんじゃない!バカたれが!