宇宙食堂さん『無敵望遠鏡』
5月14日(火)に無事に6日間9ステージ
無事に無事に終演致しました!!
最後までアユーシとして生きれました。
本当にありがとうございます。
現在、とても色んな感情でいっぱいです。
今回の公演は私の中で特別な公演になりました。
宇宙食堂さんは、以前『百鬼繚乱』で共演しました松崎洋平君とのご縁で今回出演するはこびとなりました。
初参戦の宇宙食堂さん、メンバーから単独出演はとても久しぶりで緊張しておりましたが、皆和気あいあいで、飲むのが好きな人が多くて、楽しい稽古期間でした。
初めは、宇宙食堂さんのテンポ感や気持ちの切り替え等が難しかったのですが、宇宙食堂さんの空気感やテイストを崩さず自分のせめれるとこをせめ、私がやらせて貰うからこその役を作っていくそんな稽古期間でした。
今回の公演は、先程も言いましたが特別な今まで出演してきた舞台の中でも思い出になると言うか、きっと忘れない公演になる公演です。
『時間は無限では無い。
時間は待ってはくれない。』
こう言う言葉はよく聞いたりする。
でも、今回本当にそうだなって心から思う出来事がありました。
―父がこの世を去りました。
それは本当に突然の出来事。
5月8日(水)明日が初日と言う時、本番へ向けての劇場でのシーンごとの舞台装置や照明、音響、全部本番使用のチェックをする場当たり中。
夕方頃突然『お父さんが倒れて、心肺停止です。救急病院に運ばれた』
と連絡を貰いました。
連絡を貰った時、理解が追い付かず、今そこにいる自分がそこに居ないような、体がずっと浮いた様な状態になり、しかし急ぎ電話をして病院の場所や現状を確認し、頭は混乱状態でしたが、
『行かなきゃ』
と思いました。
しかし、この本番が迫った状況の場当たり中、役者としては本当に大事な仕事。
でも、どうしても行きたくて
舞台監督の佐藤さんに話したら、
すぐに演出の新井さんを呼んで下さり。
大事な場当たり中でしたが、
すぐに『行ってきた方が良い!』と言って下さり、すぐに病院へと向かわせて頂きました。
すぐに向かわせて頂けた事、その対応に本当に感謝しかありません。
向かってる途中もずっと地に足が着いてない、理解しようとしても出来ない。不安。焦り。
病院に間もなく着くと言う時、
また連絡があり
『心臓が動いた!だけど意識不明。脳にどれだけ障害が残るか分からないと。』
病院に着くと同じく連絡を貰っていた姉が先に着いていて、おじさんも仕事場から駆けつけてくれた。
そして、皆で先生の説明を聞きました。
とても分かりやすく確認しながら話してくれました。そして、治療の方向性をどうするか問われました。
家族で話し、『出来るだけのことをやって下さい』
とお願いしました。
その時点で、心肺停止になってから約40分間心臓が止まっていた為、脳に障害が残る可能性がかなりの確率でしたが、家族全員目覚めて欲しいと言う願いでした。
心肺停止になった原因が不明でしたが、色々な角度からの可能性を考え、治療をしていって頂きました。
何日後に目覚めるのかは分からないけど、目覚めると信じて。その時の父の心臓はしっかり動いていて、沢山の管や人工呼吸器はついていましたが顔色も良く眠ったようにおりました。
私はそこで途中で急に抜けて迷惑をかけてしまっていた為、少しでもと思い一度劇場に戻り途中から場当たりに参加しました。
その日の場当たりを終え、劇場を出る時
『父が危篤状態だと』連絡が来ました、
その連絡を受け、また病院へ急いで向かいました。
父は色んな角度から考えられて投与された薬達に対しての反応が全く無かった様です。
その夜は家族で病院に泊まる事を決め、一晩中父の側におりました。
朝まで側に居りました…少し弱くなった様に見えた心拍。だけど、眠るようなおだやかな表情で父はおりました。出来ればずっと側に居たかった。
時間とは本当に酷です。
代わりがきかない仕事。
後ろ髪を引かれる思いでしたが、
家に必要な荷物とシャワーを浴びに帰り、劇場へと向かいました。
昨日の残りの場当たりを終え、
そして当たれてない私の部分の場当たりを返して貰えました。舞台監督の佐藤さんのご配慮と、関わっているキャストの皆さんは、私がどう言う状態かも話せていませんでしたが、本当に快く返して頂きました。感謝です。
そして場当たりが終わり、
さぁ、これからゲネプロ!準備入るぞと言う時、
携帯に
父が亡くなった知らせ
が届いていました。
5月9日(木)
―父がこの世を去りました。
時間は待ってはくれませんでした。
父の最後を看取る事は出来ませんでした。
「親の死に目に会えない」
といわれる俳優業。
まさか、自分がそうなるとは思いませんでした。
最後にも一緒に居れず、すぐに駆けつける事も出来ず、今までの感謝の気持ちをちゃんと伝えられぬまま、、、こんな親不孝な娘でごめんなさい。
そんな中、ゲネプロの開演まで刻々と迫っていました。
気持ちはぐちゃぐちゃでしたが、
今まで皆で作り上げてきたキャストスタッフの為、
観に来てくれるお客様の為、
そして、今父のそばではなく、ここに居ると言う事。ここで半端な芝居をするのは父に失礼だと思いました。
地に足をぐっと掴む位に、
溢れそうになる箱の蓋をぐっと押さえて、
一人の役者として背筋を伸ばして立とうと
ゲネプロ、初日へと挑みました。
必死だったのであんまり覚えていません。
とにかく、初日を無事に終えられた事にほっとしました。初日乾杯もありましたが、早々に家に帰らせて頂きました。
帰ると父が帰ってきておりました。
顔は真ん丸になっていました。
心肺停止から心臓が動き出してから息を引き取るまで、約15キロ程の薬の投与で顔は丸く、体も丸くなって帰ってきました。
あぁ頑張ったんだなぁと思いました。
考えると、心肺停止から救急隊の方の懸命な心臓マッサージのおかげもあるのだけど、最後に皆に会う為に頑張って生きようと心臓を動かしてくれたのかなと思います。
『本当にお疲れ様。』
そう、伝えました。
夜は、どう寝たか分からない位疲れ果てて寝てました。
2日目、3日目、、、と舞台に立ち続けました。
日に日に葬儀の準備や、納棺の儀と
どんどん進んでいきました。
そのほとんどが私は関わることが出来ず、自分への苛立ちがありました。
本当のお別れが近づいていました。
13日(月)通夜
この日も本番でした。
もうこの姿は家には帰ってこないのだなと。
朝、父に線香をあげて家を出ました。
今回の事はほとんどの人にはお伝えしておりませんでしたが、メンバーには伝え、そこから元メンバーにもお知らせしてくれた様で、
通夜には急なスケジュールで皆忙しい中、何人かのメンバー、元メンバーが通夜に参列してくれました。
私も居たかった。
夜の公演は、通夜の時間と被っていて、
苦しかったなぁ。
でも、私の代わりに何にものメンバーが見届けてくれていて、
芝居に入ればキャストもお客様も居てくれたから、自然とパワーを貰い支えられた。
14日(火)告別式
この日は式には参加出来ないが、
ホールを早く開けて貰って、
最後に父の顔を見れる最後の機会なので、
お願いをしてお別れるをする時間を頂き、
入りを遅くして頂いた。
ホールへ行く途中、昔住んでいた家の近くと言う事もあり、久しぶりに前の家を通って、その時の父との思い出もまた思い出されました。
式に参加出来なかったので、
姉からの提案で父への手紙を書いた。
棺の父の顔の横に手紙が入れられていた。
きっと旅立つ時に読んでくれていると思う。
そう信じてる。
最後のお別れをして、劇場に向かった。
正直、電車の中でも涙が止まらなかった。
劇場に入ると、遅入りさせて貰った分、やるべき準備は多々あって、時間に追われた。
やる事だけに集中できて良かったと思います。
そして、今回の事で、
―時間は戻らないし、後悔はしたくない―
その思いが強くなりました。
なので、最後に改めて台本と向き合い、
アユーシと向かい色々想像をしました。
最後の最後でも発見はあり、肩の力が抜け。
一番、アユーシとして生きれたと思います。
本当だったら、毎回同じクオリティのものを見せるべき。と、思いますが、舞台とは生もの。
人は日々成長するし、キャストそれぞれも同じ事をやっていても、やっぱり違う部分もある。気温やお客様でも空気が変わるのが舞台。生の空間。毎回変わるお客様との一期一会。
今回、最後まで舞台に向き合って出来て本当に良かった。
そして、とてもとてもほっとした。
『無事に、無事に終わって、本当に本当に良かった。』
心底思いました。
千秋楽にはメンバーの空ちゃん来てたから、
『本当によく頑張ったね。』
って言われて本当に泣きそうになっちゃったよ。
メンバーには色々本当に支えられた。
皆いっぱい励ましのラインくれた。
本当にありがとう。本当に感謝。
最近の私のちょっとした夢は
まだまだいつになるか分からない話ですが、
父とバージンロードを一緒に歩く事でした。
足は不自由でしたが、車イスでも隣を一緒に歩きたかった。孫の顔も見せてあげたかった。
それはもう叶いません。
父はとても仕事熱心でした。
亭主関白で厳しい父でしたが、
私が役者をやる事には、
『お父さんの時は厳しくて色々出来なかったから、子供にはやらせてあげたい。』
と言って応援してくれました。
―今までこうやってこの道で頑張ってこれて、今元気に生きているのはお父さんとお陰です。
本当に本当にありがとう―
伝えたかったこの言葉は、もう届きません。
時間は皆平等に流れていて、
その中でどう生きるかはその人次第です。
時間は無限ではありません。
人には後悔は必要だと思います。
後悔して成長もします。
だけど、自分の意思でその後悔が無くなるのなら、一歩前へと進むべきと思います。
時間は待ってはくれません。
そう、今強く感じます。
母が大分疲労困憊なので、まずは母を労って、
私も前へと進んで頑張ろうと思います。
皆さんも
感謝の気持ちを伝えられてなかったり、
やろうと思っててやれてなかった事があったり、
ずっと謝れていない事があったり、
後悔する前に出来る事は、
前に進んで頑張って欲しいと思います!
私も頑張ります!!
ではでは、また会える機会に☆