全室海側&海を望む貸切露天風呂 サニーステップのブログ
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老人の戯言 2013.01.02

全国の皆様、
あけましておめでとうございます。
どうぞ皆様にとって良い年でありますように
心から願っています。


リーマンショック(この言葉は知っているが、
その実態を私は全然知らない)以来、2年に亘り
不景気という状況が続いている。さらにバブル崩壊
から数えると20余年にもなる。


20年という期間は個人からすれば人生の4分の一
に当たる。この世に命を授かり、昭和から平成に
掛けて生まれ合わせた有り難さを考えれば、少欲
知足をもって人生の指針にしたいと、そして日々精進、
日々発心しかないと、つくづく考える今日この頃である。


国立公園制度が出来た当初は富士箱根であったが、
昭和32年に伊豆が加わり、三地連盟の国立公園となった。
山に海を加えたのだが、伊豆は沿岸部が公園地域となって
いるが、天城山麓も含めた伊豆半島全体の景色があって
こそ海岸部がいきいきとしてくる。


今白浜板戸ではアロエ祭りが一月15日まで、
須崎半島爪木崎では1月いっぱい水仙祭りが行われている。
元旦に両方とも視察してきたが、異常気象のためか、
開花期が遅れている。祭りの期間に限らず楽しめることでしょう。
今年もどうぞサニーステップをよろしくお願いします。

老人の戯言 2012.12.17

間もなくクリスマスの日がやってくる。
それに向かって商戦がいっそうにぎやかになりだした。
ビル、タワー等のイルミネーションは2~3週間前から
ツリー模様を仰々しく飾り立てている。
サンタクロース風に作った食べ物も出回っている。

私が小さいころの昭和20年代にはこんなことはなかった。
それがいつの間にかケーキから始まり、現状に至っている。

今朝の新聞によると、アメリカでさえクリスマスツリーという
呼称を止めようという動きが小さな都市から出始めているそうだ。
信教の自由のためであり、先走るにぎやかしをやめようとしているらしい。


私も全く同感である。
テレビ映像を見ているとうんざりとさえする。
クリスチャンでもなく、サンタクロースにも全く縁のない人間たちが
この時期だけにぎやかしおどらされて買い物に出掛け、
町中を歩き廻るなど、私には考えられない。

しっとりと落ち着いて正月飾りを思い、新年を迎えたいものだ。
幼少の長野で育った父母達はこの時期近所の人達と餅をついていた。


老人の戯言2012.12.01

あした葉、ふきのとうを食べていると書いたが、
地元の老人たちは更に凄い。


通りかかる80代後半にもなろう老婆の多くが
背負い駕籠を背にして歩いている。出会う多く
の方々に声を掛け「重いの?何が入っているの」
と聞くが、自分の畑で採れたもの、或いは親戚、
友人から貰ったもの等が入っている。
とにかく野菜類は自前の人たちが多い。


しかし野獣との攻防がかなり熾烈らしい。
鉄柵だの網だので囲っている畑も多いが、
猿、猪等はそれを飛び越えるそうだ。
リスも加害者だとは先日初めて聞いた。
蜜柑畑を持っている人達は烏が更に加わる。


散歩し乍らあした葉を手に一杯に握っている
人達も多い。否、殆どの老婆がそうだと、私は
思っている。



老人の戯言2012.11.25

スーパーで売られている3割5割引の
商品に拘ると書いたが、只のものでも
実においしいものがある。


タダとは自然、野生のものだが、あした葉
(明日葉)であり、蕗のとう(ふきのとう)で
あり、むかご、などなどである。

ふきのとう、むかご等は季節のものであるが、
あしたばはいつでも新芽が食べられる。


ふきのとうは2月の終わり頃から3月いっぱい。
地元の人たちも探すのであろうが、私は山に
向かう散歩道で見つけるから余り地元の人の
目に付きにくいのか、採り放題。


むかごは10月から11月にかけて山芋のつる
に生る。
山芋は多少の小遣い稼ぎに地元産として山に
入り採る人がいるので私は遠慮している。
従ってむかごも採りには行かないが、時には貰う
ことがあるのでそのときは有り難く頂戴する。


これらに比べあしはばは私の土地内に生えて
いるのでいつでも新芽が食べられる。芽を採っても
またあした生えるというのであしたば。


東京に居た頃は名前すら全く知らなかったが、
今では病み付きになっていて、家内が「今日は
天ぷら」と言うと私は必ず採ってくる。


ほろ苦さと野菜の甘さがミックスされていて本当に
おいしい。そして食べ放題だからなおおいしい。


老人の戯言2012.11.24

六根とは「眼」(げん)「耳」(に)「鼻」(び)
「舌」(ぜつ)「身」(しん)「意」(い)をいう。
所謂人間の五感プラス意識をもって
仏法上は六根と称し、これらを研ぎ澄ます
ことにより成仏への道とすると私は理解している。

それにしても「六根清浄」と唱え乍ら四国の
48ヶ所、或いは地方の88ヶ所を巡ることに
よって成仏することはありえない。


「六根清浄」についてもっと深く書きたいが
私にとっても難しくなってしまうので、
引き続き気楽な日常の「舌」について書くことにする。


我が家の家庭料理がここのところ毎日
正月料理並みにおいしい。

種を明かせば買うものの殆どが5割引き
以上であり、定額では全く手が出ない品でも
買ったりしているからである。


最近では割引になる時間帯が各スーパー
によって違うことも覚え、その時間に合わせて
スーパー巡りをするようにまでなっている。


車中で家内が「今日は何を食べようか」と
呟くのであるがそれは全く独り言に過ぎず
割引商品探しの出たとこ勝負である。
割引のラベルが貼ってあるのしか目に入らない
ほどである。


そうした豪華な食卓の中でも特に思い出深い
のが今年の七月末土用丑の日のことである。
夕方7時に行ったら「うなぎ」が5割引であった。


鰻の価格が徐々に値上がりし、その頃には
通常の倍近くの値が付いており、時たま家内が
「うなぎ食べたいね」とは云うものの、素通り
していたのだった。


私は迷わず家族分4枚を手にした。
今思い出しても可笑しいのだが、丁度4枚あった。


先日は5割引になった黒毛和牛をついに買った。

皆でニコニコし乍ら「美味しいね」。

唯単に「美味」という舌根をこえて、生活を楽しんで

いる我が家であると勝手に思っている。



老人の戯言2012.10.30

スーパーへの買い物はよく出掛ける。
時々出会うのはその昔(7~8年前)
よく通った飲食店のオヤジ、オカミさんたちである。


「最近行かなくてごめんなさい」
と謝る事から会話が始まるのだが
本当に行かなくなってしまった。
皆さんが「いいよ、いいよ」と笑いながら
雑談に応じてくれる。


なぜ行かなくなったというと、一人前が
とても食べられなくなってしまったからである。
要するに胃袋が小さくなってしまった。
そのことを付け加えると相手は
「ハハハ」と笑い、「もうそんな歳に
なったんだよ」と返ってくる。


あの頃は自宅での夕食後2時間くらい経つと
「何か食べに行こう」と家族を誘ったものである。
家内も喜んでついて来た。

その家内も今は少し太り気味を気にして
夕食はご飯を抜き、私はお茶碗に3分の一
程度でもう満腹。


外食をしなくなったのは小食になってきたからだが、
それに加えて家内の作るごはんも非常においしい
のである。

私の味覚が家内に仕付けられたのか、
或いは女房の腕前が上がったのか。
恐らく後者であろう。

最近調味料が少し変わってきているようで
毎日の夕食が非常に美味い。


私は毎食「あ~おいしい」と口に出す
ことにしているが、これは家内へのお礼、
感謝の気持ちを表現したいと思っているから。
そして私の六根のうちの「舌」の精進も意味している。


老人の戯言 2012.10.12

私を連れて行ってくれた彼は近所に住んでいた。
その彼が去年の暮れ突然亡くなった。


中学を卒業してすぐに自動車修理工として
町工場に勤めた。今では下田で一番大きな
修理工場になり、30人近くの会社となり、
彼はそこのナンバー2になっていた。


修理、車検だけでなく販売や保険もある。
彼は外交営業担当であり、席の温まる暇もなく
飛び歩いていた。それまで培ってきた車に対する
技術、知識に基づき、さらには人柄の良さが加わ
って営業担当となっていった。


そんな彼が私宅へ来たときそっと話した。
「俺、もしかしたらそのうち人工透析をするように
なるかもしれない。そしたら会社も辞めなきゃ
ならなくなる。」


昨年夏、彼を見掛けなくなったので奥さんに訊いたら
「今修善寺の大学病院に入っているの。」
11月頃また訊ねたら「3ヶ月入院してるけど、ここまま
入院してても仕様がないので、地元の病院に行きなさい
と先生から云われた。」


11月中旬彼宅に人が出入しているのでもしやと
思い私も訪ねた。彼は頭を右にしてベッドに横たわり、
力なく左手を差し出してきたので、私も左手で握手した。

「俺動けないんだよ」と言いながらも、もそもそして
なんとかベッドの上に起き上がって右手を差し出したので
私も右手とそして左手も添えて固く握手しなおした。
「頑張れよ」としか云えなかった。


病床待ちで2日ほど家に居て再入院した。
その後2週間ほどした12月に彼は亡くなった。


詳しい病名はわからないが内蔵がみなだめに
なってしまい手の打ちようがなくなっていたようだ。
寿命だったのだと私は思っている。
「死は一定」と仏教では説いていて、仏教信徒の
私は彼の成仏を願って塔婆供養をしてお経を
唱えるのみである。


今では蛸取りもタテ貝採りも遠い過去となったが、
人生にとって貴い経験であった。


老人の戯言2012.10.10

蛸の大きさは30センチ前後だったが、
タテ貝の大きさは大人の小指程度。

2枚貝で割れ易い岩の中に住む。
成長するにつけ岩を溶かし徐々に
奥へと潜っていきながら大きくなる。

大体が10数個の群れをなしている。
えさは海草の海苔だから日当たりの
良いところで群れるのだろう。

夏前だったか彼から誘いを受けて
海パン姿で金槌と小バケツを持って
出かけた。

「貝の穴を探して岩をハンマーで
削っていく。そして穴から引っこ
抜くんだ。」

穴の直径は3ミリ程度、そこから
2~3ミリの貝の舌が口を開いて
出ているが、それが7~8センチ
程度の間隔で10数個。それで
ハンマーとなるが、穴を見つけ
るのに四苦八苦。

それでも慣れてくるにつれ段々
見つけられるようになり、小一
時間で両手にこんもり程度採れ
た。さぞかし私は採っただろうと
彼を見たら私の3倍程度だった。

「みんな持って行きな」で別れた
のだが、そのとき彼は
「絶対一人でやったらだめだよ。
俺と必ず一緒。岩を割るので禁
止されているのだよ。俺は地元
だから『俺だよー』で済むけど
あんた一人だったら訴えられて
大変になるからさ。」

ゆでてそのままも良し、味噌汁
にもダシが出て良し。とにかく
非常にうまかった。地元以外
食べられないのではないか。

20年以上前NHKでタテ貝なる
ものを放映していた。多分山口
県だったと思うが、市場に出る
にしてもほんの一部の高級料
亭出しか食べられなかったと
記憶している。
(続く)

老人の戯言 2012.09.28

思い出すだけでも懐かしい、深い思いのある
遊びを2種類やったことがある。両方とも1回
だけであるが、鮮明に思い出せる。


一つは蛸取りであり、もう一つはタテ貝と呼ば
れる貝取りである。
両方とも同じ人が連れて行ってくれた。


蛸取りには1メートルの深さの砂混じりの小石
の浜に行った。水温は冷たくなかったから夏の
終わった丁度今頃。

大潮の干潮の夜8時ころ迎えに来てもらい、
胸まである長靴(鮎釣りをやっていたので
持っていた)、クーラーボックス、そしてモリと
懐中電灯を言われたとおり私は用意していた。


それまでにもその友人が私宅に来たときには
よく蛸取りの話をしていたので、喜び勇んで
付いて行った。

話には聞いていたがアチコチ探しても全く
わからない。そのうちに「オーイ」と呼ばれて
行ってみるとモリの先にタコ。


2~3匹取った彼が「ホラ見てみな。周りに貝殻
が散らばっているだろう。そしてこの穴の中に
居るんだよ。」
確かに話の通り、穴の周りにハマグリ、アサリ
等の殻が蛸に食われて割れた状態で散らかっ
ていた。それがライトに照らされ光っている。


彼が話していたとき「蛸は穴の中でこうやって
石を頭の上に乗せてるんだ」と両腕を頭の上に
まわして石を抱える格好をした。
私はそんな姿勢をするはずないと思って笑い
転げたが、身を隠すために大き目の石はあった。


一時間と少しで5,6匹は取った。
「みんなあげるから持って行きな」と言ってくれた。
(続く)


老人の戯言 2012.09.27

私は毎朝タオルで顔を拭くとき必ずチラッと
鏡を見る。浅野一瞬であるが非常に大切に
している。拭きだすときは大体背中が曲がっ
ているが、拭きながら背筋を伸ばす。

伸ばすためには、腰を入れることが必要で、
その腰の入れた感触を身体全体で確かめ、
その感覚を一日中保つようにしている。

歩くとき人間は手を振る。体の横で平行
になるように振っていたが、老人になると
八の字型に手が前にきているのを見かける。
それは背が曲がってきているためなのか、
と勘繰っている。

この歳になると若いときのようにスタスタ
歩けなくなってきているが、それでも手は
平行に振るようにしているし、時には両手
を後ろに組んで腰を入れて歩くようにしている。

さらに、時々話し掛ける老人は逆八の字に
手を振っていて、だから背中がピンとしている。
ただそれは癖であろうと、勘繰っている。
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