疑問に思うことをまたまた仕事上の知人が言ってきた。

「FB友達申請してくださいよ」

「???え? 自分がすれば?」

「僕、自分から申請しないんで」

「・・・」


繋がりたいのか繋がりたくないのかよくわからんです。




あたくし人付き合いは広く浅くよりも、狭く深く付き合いたいタイプなので、自慢じゃないが友人はものすごく少ないです。


SNSでも同じで、むやみやたらに交友範囲を広げようとは思っていません。


友達を増やせば増やすほど、一人あたりにかける時間が少なくなります。
本当に欲する情報が他の情報に埋もれて気づけない危険も生じます。


営業をかけなきゃいけない仕事でもないし、有益な情報を提供するわけでもないので、あたくしの日常だとか思考だとかコレクションだとかは多くの人が知る必要はないのよ。



あたくしの繋がりについては、基本、来るものは拒まずです。
仕事で出会って縁を切りたくない方だったり活動や動向を知りたい方には当然こちらから押しかけてお願いします。
この仕事、出会いと別れの数は半端なく多いですからタイミングを逃すと相手に忘れ去られて繋がりたくてもかなわなくなります。




彼も考えがあって自分で決めたルールを守っているのかもしれません。
でもそれを守るために人に手間を要求するってどうなのでしょう?
もしどうしても繋がりたい相手と出会っても彼は自分から行動を起こさないのでしょうか?




疑問に思うのは、つまりは、あたくしが彼のプライベートに興味ないってことなのかしら。




苦しい時代を共にしたかつての後輩がいる。



アルバイトでエアロビのインストラクターをやっていた彼は稽古前のアップでは大活躍していた。

その彼の笑顔はさわやかで汗とともに輝いていた。



何事にも真面目で丁寧な彼の芝居は頭で考えて決めたことしかできなかった。

年若くて人生経験も少ないのだから引き出しも数なく発想も乏しかった。

きついダメを受けすぎて脳ミソも表情筋も硬直し、彼の生来持つ穏やかな雰囲気もどこかへ消えた。



ト書きに『微笑む』と書いてあれば役者は微笑まなければならない。


必死に微笑もうとする彼に演出家は慈悲のない言葉を平気で吐いた。

「笑顔が気持ち悪い」


冗談や愛からでないこの言葉がずっとおいらの心の中に尾をひいて、何年も何年も、傷のように残っていた。


彼は芝居から去って行った。


あれから時代も変わるほど年を重ね偶然にも再会した。


語りの道で修業しているのは知っていた。


笑顔は眩しいほど晴れやかで素直な自信に満ちている。


努力に裏付けされた自信が自然に笑顔をつくり、その笑顔がじんわり傷跡を埋めてくれた。
ひとつ捨てると、その隙間は別の何かで埋まろうとする。
自分の意志とは関係なしに新しいことが転がり込んでくる。
人や物事には出会うべくして出会うものなのか。

多くのことが動き始める平成27年度の春。


未来に今を振り返ったおいらに何が見えているんだろうか。