【小さな折り紙を折ること。】


 毎日バタバタと、複数の予定をなんとかこなす日々。(>_<)

どんどんたまる書類や本や、目を通したい資料を捌ききるのに十分な自分の時間はなかなか取れず、

いろんなものの「積ん読」に、気持ちばかりが焦ってしまうよろしくない循環の中におります。(>_<)


でも今日、予定していたことが一つ突然キャンセルになり、

急遽自分時間を手にしたので、

様々な積んであるモノたちを、少し整理しました。いわゆる 片付け、です。^^;


そしたら出てきた、

大量の折り紙たち。


昨年の12月まで、市内の4つの小学校の三、四年生の外国語活動(英語)の授業を担当させてもらってました。


わたしは子どもを産んでから、仕事から離れていたので、

過去にほんの数回、非常勤職員として、授業をお手伝いすることはあったものの、

毎日学校に通うということは、とても久しぶりでした。


さらに、自分で授業をする、ということは、何年振りだっただろう。

とにかく久しぶり!

でも、

もちろん準備など大変ではあったけれど、とにかく現場に立てることが楽しくて、


しかも、

英語という、

コミュニケーションの体験を重ねていく教科(正確にはまだ教科化されてないけど。)だったので、

日々の子どもたちとのやりとりが、いちいち新鮮で、予測できない可能性を秘めていて、

そして愛おしく、

わたしにとっては、エネルギーを与えられ続けた時間でした。


4つの学校のうちのあるクラスに、

わたしが授業に行くたびに、

「おみやげ」をくれる子どもたちがいて。


数人の女の子たちが、

誰かにプレゼントするために、

小さな折り紙を、休み時間などにせっせと作ってためこんでいるわけ。笑

その折り紙を、

「こんなにもらったら、他の人のなくなっちゃうから、いいよー💦」

ってくらい、

毎回授業の終わりに、わたしに持たせてくれる。笑^^;


教材とともに、毎回両手いっぱいに折り紙を抱えて職員室に帰る時、

なんとも楽しく、あったかい気持ちになったことを思い出します。


今日、

その大量の折り紙を眺めながら、


「誰かの喜ぶ顔を見るのが嬉しい」


って、

人が生きるための、根源的な活力だよね。


って、

ふと思ったのでした。


それは、どんな小さなことでもよくて、

そう、この折り紙みたいにね。

自分が存在することによって、

誰かがちょっとニッコリしてくれる。(❁´◡`❁)

その実感さえあれば、

きっと人は生きていける。


新聞を開くと目に入る、

登戸の事件を思います。

犠牲になられた方やそのご家族のことを考えると、本当、やり切れない。

同じく、加害者のことも、、やはりとても苦しい気持ちになる。

そして、もし、あれがこの南足柄で南足柄の子どもたちに起こったら、と想像すると、心底恐ろしくゾッとします。


あんな事件が起こらない社会を作りたい、

そう強く思うけど、

正直何から手をつけていいのかわからなくて途方にくれる。


でもね、

折り紙を眺めながらね、


あぁ…、

こうやって、

〝  小さな折り紙を折る″、ことをしたらいいんだ。


って思った。


今わたしの手元にあるこの大量の折り紙、言ってみりゃ、何かの役にたつわけではないよね。

でも、そういうことでなく。

誰かを思って、自分の時間や労力や心をそこに傾けること。


そのことを、


「そんなくだらないことやってないで、早く宿題やっちゃいなさい!」


って、一蹴するんじゃなく、


「大切なことしてくれて、ありがとう♡」


って、思えること。

思える自分。

思える社会。

…に、なりたい。したい。


ほんとね、

出来不出来じゃないっすよ。


生産性のあるなしじゃないっすよ。


自分の首を自分で締める価値観、囚われ、

わたしも自身も投げ捨てたい。よ。


みんな、

小さな折り紙を折る喜び、

プレゼントする喜び、

される喜び、


これをもっと素直に、心のままに感じ合えたらいい。


…誰かの命を奪ってしまいたくなるほどに苦しい思いをしている人が、一人でも少なくなりますように…。

いや、一人もいなくなりますように…。

心から願う。


子どもたちのすることの中に、

いつも真理がある。

子どもはすごいっす。まじで。


…と、感動しているばかりで、片付けは一向に終わらない。という。あーあ…。( ´д`ll)