amebloを長いこと放置気味でいましたが、少しずつ自分の記録・備忘録として書き綴ろうかと考えました。別のブログとも内容一部重複しますがお許しを。
理由のひとつは、昨年2021年末のできごと。
日を明けずに二度連続で自分の不注意から冬の凍った道で転倒し、一度めは右側頭部をアスファルトに強打、二度めは腰臀部を強打しました。
前者は起き上がりにこそ通行人の方の介助があり「頭を打ったから病院へ行った方がいいわよ」のひとこともあり、直後自力で脳神経外科に駆け込み検査を受けました。
特に外傷や異常は見られなかったのですが頭部強打の後遺症が出ることもあるので1ヶ月程度は生活していて変化がないか経過観察してくださいと診断されました。
そこからの後者の件は、転倒時にこの時も見知らぬ通行人の女性が手助け下さり、立ち上がることはできたものの、いざ一歩足を出そうとするだけで激痛に見舞われたため只事ではないと察知、現場が比較的家の近所でまだ外出前の息子たちを呼び出して病院に連れて行ってもらおうとしたのですが… 少しでも動かそうとすると今までに経験したことの無い激痛が起きより深刻な状態。二人で付き添っても病院に行くのは無理と判断、救急車を要請し病院に搬送。
すぐにX線・CT検査を受け、結果診断は下半身部分の内部骨骨折。即時入院となりました。
ただでさえ新しい年への変わりめの一番大切な時期に、どうしてこんなことに…と痛みに襲われながら、乗せられたストレッチャーの上で頭の中が真っ白になり全ての予定が吹き飛んでしまった虚無感と情けなさに打ちひしがれていました。
入院が長くなるとやることも限られ、日中起きていられる時は極力ラジオを聞く、ネットサーフィンで気になるサイトチェック、動画を観たり、思いをノートやWebに下書きなどと平行し差し入れてもらった本を読み進めています。
テレビはシステム(いわゆるテレビ・冷蔵庫チャージ)に入金しなければ使えないので特に能動的に観たい番組も限られるため使用は控えています。
入院は複数の方との相部屋。薄いカーテン1枚以外にはプライバシーを守るものはなく望まざるとも共同生活。自分より年が上の先輩の方。朝起きて顔合わせた時にあいさつできる方へあいさつ。
しかし、歳を重ねた方にはそれぞれの人生がありご家族がいて人間模様があるわけで。共用スペースがゆえのストレスは多少なりともあります。
さる方。何かおしゃべりが始まったものの途中から話の辻褄が合わず、突如、ここはどこなの?私はなぜここにいるの?自分の家族はどこにいるの?連絡取りたいの!と慌て出す始末。
病院という若干不自由で慣れない環境に置かれ、患部の痛みはもちろん辛さ寂しさがどうしても日頃よりも数十%増で自身の内側から押し寄せ不安に苛まれるのは当たり前。認知機能に衰えがあるならご自身での気持ちのコントロールは尚更難しいことも察知。
その辺りはさすがに百戦錬磨の看護師さんは手慣れていて。
〇〇さんは何処(患部)が痛くてここの病院に来たのよ、ご家族と連絡が取れないと心配しているけれど大丈夫、最初に来た日にきちんと付き添って来てくれたからきちんと(入院経緯)説明もしているしお話してあるのよ、今はコロナだから面会はなかなか出来ないの、何か困ったことがあったら看護師に伝えてちょうだいねとほぼ毎回同じ答えを丁寧に返す。
けれど彼女は看護師さんが部屋を出て10分としないうちから、言われたことを忘れ不安を口にしだし、看護師さんから危険だから自分一人で身体を起こすなと言い渡されているにもかかわらず、必死で上体を起こそうとしていた時にはさすがにナースコールを押さざるを得ませんでした。
これから超高齢社会に突入し、多くの人がお迎えが来るまで誰にも迷惑を掛けることなく自身の人生を生きたいと願っているでしょう。とはいえ、そのささやかな願いは誰もが遂げられる訳でもないのは人生の運でもあり過酷さでもあったり。
振り返って私自身も、そろそろ自分の人生を振り返り、いわゆる終活を始めなければならない年代。幸いケガの前まではある程度のことは自力でできていました。
ただ、ADHD発達障害者のためか思考と行動とが追いつかなくて突如ヤル気スイッチが入るとその事に没入しやすく、家事等が疎かになりマルチタスク管理の工夫が必要だ。ものの整理が上手くなく系統立てて収納することが中途半端で部屋の片付けも難儀。突如行きたい場所が見つかればそれに合わせて計画して行動する故その範囲もやたらと広い。しかし歳を重ねる毎に行動力旺盛なのと体力が追いつかないのにギャップを感じているのも事実で。
これでもし認知機能が衰えてきたなら、1人で外出した時に、子どもがいない!どうしていないの?何故ここにいるの?私の家はどこだっけ?とならない保証もないのは薄々感じています。
家族には私の介護疲れには陥ってほしくないと願っていますが…。自分が彼らの名前や顔を忘れる日が来るかもしれないし、同じことを何度も繰り返したり、苛立ちをぶつけてしまうかもしれないし。
そういう時には、各種社会福祉制度を利用したり様々な人々との支え合いも必要。元気なうちは自分でできる身の回りことは自分でやりたいなと、気持ちが続いている今はそう思います。
自分も社会の一員であることを再度自覚し、お互いさまの心を忘れずに日々を過ごしていきます。
P.S
今回、二度の転倒で多分通勤でお忙しい途上の所を私に手を貸して下さった名も知らぬお二方、本当にありがとうございました。お礼が届くか分かりませんが願いを込めて。