ここ数日、九州は寒い。










3月に入ると急に初夏のような暖かさになった。
それに伴い、飲み物も湯気のたつホットから常温のものに移行していた途中だった。


寒い日は朝から暖かい紅茶を飲む楽しみがある。
そんな日々がまた戻ってきた。
あと数日もすれば桜が満開となり春になる。
紅茶の湯気はいらなくなる。


それでいい。
それもいい。


暖かい紅茶を飲む楽しみが別の楽しみになるだけだから。



こんなに寒い朝だけど、
関東の計画停電を思えばなんて事はない。

乳幼児がいたり、
闘病や介護をしているの家では電気を使うことは命を守ることに直結する。
たくさんの人たちが自分に出来ることを探して考えて協力し合ったこの数日
どうか政府や関係機関は今後のために分析して
どのような行動や努力が電力使用を抑えることに効果的だったかを発表して欲しい。



個人的に思うことは
街に溢れるSDGSというどこか着飾った言葉より
この停電報道の方が何倍も
資源を考えること
未来を考えることを
教えてくれる気がする。

‥‥

ここ最近、娘はブルーだ。
表立って言葉にしないけれど、それは伝わる。

理由は仲良しの友人の転校。
その子の兄弟の進学に伴う転校らしく
娘の友人自身はとばっちりだと毎日やるせなさをこぼしているらしい。

「らしく」「らしい」という言葉が続くのは、
低学年の娘同士仲良しなのにも関わらず
相手の保護者とは話したこともないからだ。
このご時世、学校に行く用事がまったくない。




小学校に入ってマスクをつけたまま出会い
マスクをつけたままお別れする。
その下の素顔をどれくらい知ることが出来た上での別れなのか考えると、母である私は胸が痛い。


だけど寄り添うというのがどのような行動がわからなかったので、
私はなんでもないふりをしてやりすごした。


極めて事務的に娘が贈りたい物を用意した。
ラッピングやレターセットなど、
さりげなく机に何種類が置いた。
夜遅くまで何やら書いたり作ったりしていた。


失われた物を声高に叫ぶのは好きではない。
誰しもが何かを我慢したコロナ禍
大人も子供も平等に辛い。
ただ子供は自分で選べない事が多い。
大人だって正しさに迷った2年
子供にとってはどんな2年だったのだろう


本当に子育てはわからない事だらけだ。
だけど明日、
友人とお別れした後、帰宅した娘にかける言葉は決めている。


「また会えるよ。
同じクラスで過ごせて楽しかったね。」



私の予感が確かなら‥
4年後の春、同じ制服を着た2人にまた会える。
そんな気がする。


その時は相手の保護者と顔を合わせてお喋りしたい。



today’s special

熱くて濃い紅茶

ごちそうさまでした