2011年はわたしにとってはなにもかも
新しいスタートだった。
1月20日にSMPが船出し
そしてその直後にきた福島を襲った大地震。
世界というのは
こんなにいとも簡単に壊れてしまうのか。
昨日まで
「当たり前だった未来」は、まったく違う様相をなし
まるで私は今
違う世界にいて、その風景を見ているのか・・・?
・・・そんな感覚に突如陥った。
そのあと安否確認を行ったN氏は地震に気づかず
彼の奥様から随分呆れられたと
いう話を聞いて、・・・らしいなあ・・と笑ってしまい
されど、「そうかこれが今私のいる世界の話」なのだと
立ち返ったのを覚えてる。
私はその頃、同時に多発していたプライベートな問題で
疲弊しまくっていて、正直すべてがどうでもよくなっていた。
私はなぜこんな選択・こんな生き方しかできんのだ?
いつまでこんな世界におらねばならんのだ、と。
後悔、罪の意識・投げやりになっていた。
でも震災の風景を見て。
頭をよぎったのはなぜか 「パラレルワールド」
自分がいる世界がすべてではなく
世界には平行で複数存在し
今とはまったく違う生き方をしている自分が
複数存在する、という平行世界のお話。
懐疑的な見方もあるけれど理論物理学者はこぞってこの
説を立証しようとしている。
実際、Aという世界にいる私は Bという世界では
例えば社長として働いてる私の存在を、同時には
みることはできないからだ。
だけど、こうも思った。
そうか。世界がそこまでフレキシブルなら
私の「世界」は今からでも変えることができるんじゃない?って。
目の前には見えてないだけで
複数の未来が存在するのだ。
線路を切り替えればその世界に
さらっと切り替わる。
テレビのチャンネルを切り替えるみたいに。
私の未来はひとつだ、と
思っていた思い込みは
ある瞬間の選択や気づきで大きく様相を
変えるのだ。
つまり、過去 現在 未来 は決してつながって
などおらず、
それぞれが世界の選択の連続で、意識を変えるだけで
変っていくのだ、と突然気が付いたのだ。
ちょっと難しくなってしまったのだけれど、
結局まずひとつ変えようと
意を決しずるずる伸ばしていた案件を
片付けることにした。
3月23日
体裁だけで残していた紙切れを
休日に一人で出しにいき、
警備のおじさんと
阪神の話をし、帰ってから指輪を箱にしまい
「母という名の妻」から
たった一人の女性に戻った。
そんな
忘れように忘れられない年が2011年だった。
あれから10年。
SMPは10歳になり
私と言えばこの10年で失ったもの
手に入れたもの
泣いた涙の数 笑った笑顔の種 出会った大好きな人
すれ違って疎遠になった人、
悲喜こもごも。
ではあったけれど、総じて大変HAPPY
だなあと思う。
出来た人間ではないけれど、より多くの方に
助けてもらい
愛情をいただき、本当に心から
感謝をすることができてる。N氏もその一人で
あることは間違いない。今の私はN氏の影響が
とても大きい。N氏!ありがとう!
10年前に感じた「未来は作る」という感覚は
失っていない。
実はそれは、メッセージとして
SMPの歌詞・曲の根底にずーっと流れ続ける
テーマ
みたいなものだ。
そう・・・・私は誰かに「頑張れ」なんて
絶対言わない。
だってみんな十分!!!がんばってるもの。
起こったことに責任をもってさえいれば
その次の未来を自分の意思で選びとって
いけるのだと、信じている。
究極に
幸せか不幸せかの選択は「誰だれのせい」
にせず選択しているのは自分だということ。
昨日のあたり前の未来は良くも悪くも思い出に
変わるのだ。
その感覚を失いそうになったら
意識を保ちなおすように
しているこの10年のMA=SAでしたっ
今回も長くなっちゃったー!てへ。
最後まで読んでくれてありがとう。
長いブログはきっとまた書かなくなる
かもしれないけれど
またそれはそれで。 気が向いたら書くから
どうぞ楽しんで読んでやってくださいーー
MA=SA
3/20日
10周年イベント
まであと9日♪
どひゃー!!!