小さなテントに連れられ、布がかぶせてある石の前に座らされたオルガ女史。目をつむってマイケルの次の指示を待ちます。肩に手が触れ、「目を開けてから、後ろにいる自分(マイケル)の方を見たりしないように気を付けて」と注意をうけ、ゆっくりとまぶたを開きました。目の前にあったのは、人の顔、それも活き活きとしたエネルギーあふれる人の顔が彫られた石でした。女史はおどろきつつも、首が動かないよう制御し、じっくりと対峙します。

 

その様子を読んだとき、2009年に奈良:興福寺の北円堂に安置されている無著・世親立像を特別拝観したときのことが、私の脳裏によみがえってきました。奈良フェチの主人と違い、何も知らずまったくなんのイメージも持たずだったのですが、そのときのことをブログでこう記していました。

『ぐるぐるっとお堂を回りながら2体をいろんな角度から眺めていたのですが 正面に来たときの衝撃波といったら・・・

思わず「ごめんなさい」と言いそうになるくらい 自分の内面奥深くまで無著の一見柔和な目から 鋭い波動が入ってきました雷 逃げ隠れできない一瞬の金縛り状態・・・魂の入ってる本物ってすごいなーと今回もあらためて思った瞬間でした』

 

女史が見た石には二つの顔が彫られていました。マイケルの解説によれば、その二つの顔は「地球の顔」だと。そのあとサマルカンドの場所の特殊性など女史に話したあと、また翌日同じ場所で待ち合わせましょうと言って、バス停へと女史を送ったのでした。

 

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1冊目のときも感じたのですが、オルガ女史は超人的能力である見たものすべてを記憶する「超記憶症候群」ではないかと思うくらい、描写が細かくリアル(に感じます)。だから英語がつたない私でも、なんとなく見えてくるものがあるように思います。

 

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翌日は脳の記憶によって怯え・不安・怒りなどが日常の中に出てくること、それをどう克服するかをマイケルの手ほどきで実践していきます。マイケルに会う前に、女史は夜見た夢の中ですでにレッスンの下準備を受けるのですが、起きていても寝ていても学びのため意識は連続していて、一見関係性が無いように見えても、前後の出来事(ときに時系列はバラバラに見えますが)が密接に絡んでいるのですよね。

マイケルは女史の思い違いを忍耐強く訂正し、最終的にパズルの一枚がはまって「あ!」と分かる体験をさせてくれます。

 

マイケルは「元」のブレがないので、どんなに学びに来た人の内面が複雑化してるように見えようとも、まっすぐなレーザー光線がその人のハートに当たっていくような、またその元のバイブレーションとズレがなくなるまで差異を感じ取って導いているような感じが私はします。元の感覚が個人の思い込みだと大問題に発展しますが、女史の筆(指?(笑))を通じて感じるマイケルの「元」は我欲が絡んでないような。。。

だからspirit of truma や memory demon の核心にその人自身が触れるまで、迷いなく導くことができるのではないかと思うのでした。(⑥に続く)