小学校3年生と4年生の担任だったO先生は結構面白い先生で、
子供達に色々な習慣をつけさせる先生だった。
いくつかあったけど、今でもよく覚えている二つがある。
一つ目は運動の前は必ず首をよくほぐすこと。
毎回必ず首を回す、反対からも回す、もう一回繰り返す、というようにグルグルさせられていて、
当時はどうしてそこまで首を集中的にほぐさなければならないのか、あまりよく分からなかった。
でも今となっては、転んだり事故が起きたときに首を傷めるとどれだけ大変なことになるのか
大人になってそういうことが分かった分、だから先生は首をほぐすように言ってたのかぁ、
と納得していて、運動の前にはつい首をほぐしてしまう。
もう一つ先生が言っていたことというのは「名前を大きく書く」こと。
定期的に学校ではテストというものを受けるが、その時に配られるテストの氏名欄には
必ず欄いっぱいいっぱいに名前を書きなさいと言われていた。
先生が何故、大きな文字を書きなさいと言ったのかは今でも分からない。
確かに大きな文字の方がどっしりしていていい。
そうはいっても、首と違って文字が小さくても命に係わることもないし、言ってみれば、
文字の大きさよりももっと生徒に習慣づけさせるべきことはありそうな気もする。
でも先生は、必ず私たちに「大きな文字で名前を書きなさい」と言っていた。
今では先生の気持ちがなんとなくわかって、
いつか私に子供が生まれても同じことを言うだろう、と思う。
うちは両親ともが長い間習字を習っていたせいか、O先生からだけでなく
「大きく堂々と文字を書きなさい」というようなことを言われていた気もする。
普段は特に何も言われないけど、お正月に宿題で出る書初めは、
必ず大きな文字を書きなさいと言われていた。
展覧会に行っても、大きな文字の習字を見ては「どっしりとしていて、いい」と絶賛していた。
それから今でも何故かとても記憶に残っているのが、PTAの父母会から帰ってきた母が
教室の後ろに貼ってあった私の絵を見て強烈にダメ出しをしたことだ。
理由は、「描いてあるものが小さい」。
「ゆきちゃんの絵はいっぱいいっぱいに描いてあるのに、あんな小さな絵じゃだめだ」
と具体的な比較例まで出されて、結構悲しかった。
あまり関係ないけど、何の絵を描いたのかまではっきり覚えている。
雨の日について何か書かなくてはいけない絵で、
私は緑の葉っぱの上にカエルを乗せて、その葉っぱを後ろから押している。
イメージとしては葉っぱがベビーカーのような感じで、そこにカエルを乗せてどこかに行こうとしている。
今から考えると葉っぱは押してもあまり意味はない。
どちらかというと、引きずって反対方向に向かわなければ動かなかっただろう。
でも、よくNHKの教育番組に出てきていたような
動物と人間が共存する不思議な空間をイメージして、私はカエルと遊んでいたのだ。
そんなカエルと私の楽しい時間にダメ出しをされて、結構悲しくて、それがずっと心に残っている。
かなり話が飛びまくっている、と思われるかもしれないけれど、
結局のところ何が言いたいかというと、そういう小さな出来事が重なった結果
何においても空間はいっぱいいっぱい使わないと、気が済まないようになってしまった。
特に私の文字は相当に大きくなった。かなりデカい。
何かの欄に名前を書かなければならないときは、スペースを最大限に使う。
余白があると落ち着かない。多少はみ出ているくらいがちょうどいい。
社会人になってレポートを出す時に、表紙にお題を書いて提出したところ
上司に内容ではなくて「表紙のフォントをもう少し小さくしてください」というコメントをもらったりした。
仕方なしに、自分にとっては違和感ありありの余白ありありの表紙を付けた。
友人にCDを郵送したところ、返送されてきたことがある。
何故かと言えば、封筒の裏に書いてあった差出人の住所と名前が大きすぎて
郵便局の人が宛先だと思い込み、ポストに入れたはずの封筒が私の所に配達されたのだ。
裏側さえ見てもらえば、さらに大きな文字で書いた宛先があったのに。
っていうか切手がない時点で、なんで配送しちゃったんだろう。
自分の文字が結構巨大なのかも知れないと分かってはいるけど、
それはそれで続けようと思っている。
なぜなら文字というのは、非常にその人を表すからだ。
別に自分が巨大になりたいと願っているわけではない。
文字というのは、どうもその人の資質みたいなものが結構出る気がしてならないからだ。
それを初めて感じたのは中学校の時だった。
私はバスケ部に所属していて、顧問の通称秋ババが、もう近年稀にみる
神経質&ヒステリックな婆さまで、彼女にはどれだけ泣かされたか分からない。
秋ババは、赤いスクーターで毎日通勤しているので、
当時は赤いスクーターを見るたびにおびえる毎日だった。
そして秋ババはどんなに晴れていても、何故か長靴を履きライトをつけている。
快晴の日に長靴とかよく分からないから、
とりあえず逮捕してくれないかな、と何度本気で祈ったことか。
そんな秋ババの文字が、いやー、これって針で書いたの?っていうくらい
神経質な非常に細くてピリピリした雰囲気の文字で、
「本人も神経質なババなら、文字も生き写しみたいに神経質だなオイ」と思った。
そんな秋ババから一件以来、色んな人の文字を見ていると楽しかった。
豪快な人は豪快な文字を書く。
素直で優しい人は、素直で優しい文字を書く。
ひねくれた人は、角ばって、びっくりするぐらいに全部の文字が右上がりだったり
押しの強すぎる強引な人は、重なる必要のないところが重なっている文字を書いてたりする。
たとえば「右」という字は、「口」の部分がはらいの部分に重なることはない。
でもそういう押しの強い、何が何でも自分の意見を通さないと気が済まないような人は
平気で「口」の部分がはらいを踏みつけて、はみ出したような文字を書く。
そんなこんなで文字は面白いなぁ、と思いながらあることに気がついた。
優しい人が優しい柔らかい文字を書くのなら、
自分が目指すような資質を持った文字を書けば
もしかして私の人生もそんな風になるのかもしれない。
問題は何を目指すかで、女らしいとか色っぽいとか狙う所は色々あるものの
色っぽい文字というのがよく分からなかったので、仕方なしに目標を変えた。
おおらかで、堂々とした、地に足の着いたような文字。
出来れば、根を張ってまっすぐに太陽を見上げる樹木のような文字がいい。
そんな風な人生がいいなぁ、と思った。
だから今でも、文字を書くときは横幅を十分にとって、
一つ一つの線の間が狭くなりすぎることのないように、文字を書く。
せせこましく書かずに、木が、のびのびと枝葉を伸ばしているイメージで文字を書く。
いつか自分もそんな風な人になれますように、と思いながらゆっくり書く。
とはいうものの。
やっぱり色っぽい文字も諦めがつかないので、書き方をご存知の方はご一報下さい。