「ああ、日本人なの?でもまた、何故ポーランド?」

 

 これは幾度となく、それこそ、数百回どころか、恐らく千回以上は耳にした質問。


 この質問に対する回答としてはいくつかの定型文のようなものがあり、質問してきた相手に応じてそれを使い分けるのであるが、「自身は学生時代に所謂バックパッカーなるものをしていたことがあり、旅の途中のとある国で魅力的なポーランド人の女性と出会って意気投合し、数年間の遠距離恋愛を経た後、結婚を機に彼女の母国に移住という、21世紀となった今では大して珍しくもなければ格好よくもない経歴を持つのである云々」ということをかいつまんで話すと、大概の人は納得してくれるのである。

 

 勿論これは作り話などではなく、脚色もされていない実話であるのだが、ただ、それで「ハッピーエンド」であったのかと言えばそういうわけではなく、「国際結婚にありがちな『文化の違い』や『意見の不一致』等々も重なり、その結婚自体は非常に短い「ポーランド第一章」として数年で幕を閉じたのだが、仕事や友人関係も含めて既に生活の基盤が殆どが既にこちらにあったため、『もう少しだけここ留まって、人生をやり直すための足場でも作ろうか』などと考えている内に現在のパートナーである別のポーランド女性と関係を持つようになり、転居、転職等々を経験し、気が付いてみれば9年という年月が過ぎ去っていたのである」という定型文の後半を知る人と知らぬ人が半々程。

 

 「半々程」であるのは、敬虔なカソリック教徒など田舎に閉じこもって、まっ黄色な顔をしたヨハネ・パウロ二世のプロマイドなどを拝んで有難がっていれば良いのであるが、都市部にも宗教的観点から離婚を良しと思わない人が少なからずはいるので、そういった話をしても大丈夫な相手であると判断した上で自身が「バツイチ」である事実を打ち明けないと、割と面倒なことになるからである。

 

 ところで、この国の離婚手続きの面倒なことは、結婚手続きの比ではないことを忠告しておく。日・ポのカップルでまだ未婚の方々は、よく考えた上で将来のことを決めるべき。誰もが猫をかぶっているなどと言うつもりは一切ないものの、「蓋を開けてみれば...」という話は日本人、ポーランド人同士の結婚でもよくあることなので、余程の理由がない限り教会婚などは考えず、市民婚だけにとどめておいた方が良い。

 

 ちなみに、日本に戻ることを考えたことがないと言えば大嘘になるが、いかんせん自身は怠惰で面倒臭がりであるため、こちらのざっくばらんな社会に慣れしまった以上、礼儀作法やらしきたりやらで雁字搦めになっている日本社会に簡単に戻れるわけもなく(というよりは、普通の会社員生活に戻る努力ができるわけもなく)、「外国かぶれの変なヤツ」として後ろ指を指されながら狭苦しい思いをするよりは、周囲とは全く違う外見であるがために何をしようが結局奇異に見えてしまう「明らかに余所者」の身分でいた方が楽であるというのもあって(自身は物心ついたころから「変わった子」であったので、奇異の目で見られることには慣れっこであるのだが、悪意を持って「変人」扱いをされることを快くは思わない)、現実的かつ本格的に帰国を考えたことは今の所一切無い。


 なにはともあれ、「住めば都」とはよく言ったものである。外国に出ること自体は中学生の頃からぼんやりと考えていたことであるとはいえ、上記にあるような形で、それこそ、特別に興味や親近感を抱いていたわけでもないポーランドという国に落ち着くとは思ってもおらず、偶然に偶然が重なった結果、日本の都会育ちの自身が、このような「地の果て」に根を生やしてしまったわけである。現実は小説より云々。

 

 祖母曰く、自身が「青い目か黒い肌をした『お嫁さん』を連れてくることは、(自身が)小さい時から分かっていた」そうであるが。

 

 今となっては自身がポーランド、とりわけ、現在居住する Trójmiasto (*) 以外の地域で生活していることは、なかなか想像できない。ここの何がそう魅力的なのかについては、また別の機会に書くことになると思う。

 

(*) ポーランド語の ó は u と全く同じ発音で、j は日本語のヤ行を表す子音なので、「トルイミアスト」と読む。グディニア、ソポト、グダニスクというグダニスク湾の内側に沿って広がる三つの都市が、一纏めにそう呼ばれているのである。日本語では「三連都市」の訳語が与えられている模様。

 こちらに住み始めて9年になるが、実を申せば、自身のポーランド語は未だに「カタコト」なのである。

 

 というのも、ポーランドから見て外資である企業に勤めているため職場でのコミュニケーション言語は常に英語であるし、自身のパートナーも含め周囲の人間は皆英語が達者であるため、ポーランドを使用する機会が非常に限られているのである。

 

 EF English Proficiency Index という指数の統計によれば、ポーランド人の英語能力は調査対象である111ヶ国中13位というものであり(ちなみに日本は80位)、習熟度のレベルでは「非常に高い」 (Very high proficiency) という最高レベルの括りに入っている。

 実際の所、都市部の若い世代の人は皆英語ができてしまい (特に、接客業に就くためには英語能力は必須とされている模様)、外食時や買い物中など、あからさまに外国人の風貌をしている自身には、こちらが 'Dzień dobry' (こんにちは) 'Przepraszam' (すみません) などとポーランド語で会話を始める前に向こうから英語で話しかけてしまう始末であるため、ただでさえ少ないポーランドを使用する機会がさらに少なくなってしまうわけである。

 

 自身の日本語と同様、「使わなければ忘れる」という法則が当てはまり、日常生活に必要な語彙や表現を外れたことに関してはお手上げであるため、その状態を「カタコト」とするのは大袈裟な表現ではないと思う。

 

 そもそも、自身は何年も前に職場の付属教室でポーランド語の「いろは」を習ったことを除けば、正規の授業やレッスンというものを受けたことがない。就学前の児童が周囲の大人が話す言葉を聞いて母語を習得するように、自身も周囲の人が話す言葉を見様見真似で覚えてきたので、細かい文法の規則とやらは未だによく分からない。


 というわけなので、「ポーランド語が解るか?」 ('Do you understand Polish?' 'Czy rozumie pan po polsku?' 'Czy mowisz po polsku?') という質問に対しては、割と胸を張って 'Tak' (はい) と言える。昨晩も地元の劇場でポーランド語版の 'Avenue Q' というあまりお上品ではないミュージカルを鑑賞してきたのだが、ポーランドの昔のテレビドラマを引用した冗談を除けば演者の言っていることは全て理解でき、他の観客と同様に3時間近くも腹を抱えて大爆笑していた程であるので、ポーランド語を理解する能力に限って言えば、低いレベルにあるわけではないようである。

 

 とはいえ、「ポーランド語が話せるか?」('Do you speak Polish?' 'Czy mówi pan po polsku?' 'Czy mówisz po polsku?') という質問には、'Nie bardzo, ale robię co w mojej mocy' (大したことないけど、ベストを尽くすよ) と返すしかない。

 

 2023年の新年の誓い (postanowienia noworoczne) の一つとして、「ポーランド語をまじめに勉強する」ことを挙げるべきであろうか。

 ポーランド語には日本語や英語よりも音が多く、ą, ę のように尻尾を生やしたり、ć, ł, ń, ś, ź, ż のように線や点を付けたりすることで、通常のローマ字のみでは表せ切れない発音を補う上、子音においては二つの文字を組み合わせを使うことで、その豊かな音を表現することが非常に多い。


 例えば、sz は 英語の sh、cz は 英語の ch のように発音されるため、ドイツ国境沿いにある都市 Szczeczin は「シュチェチン」となり(個人的には「シチェチン」の表記が元の発音に近いと思う)、 rz は日本語のジャ行(ジャ・ジ・ジュ・ジェ・ジョ)みたいに発音されるので(IPA表記では ʐ であり、英語の j よりはずっと強く発音され、どちらかといえばフランス語の j に近い)、ウクライナ国境沿いの都市 Rzeszów は「ジェシュフ」となる。

 Szczebrzeszyn (シュチェブジェシン) などという、非ポーランド語話者には誤記にしか見えないような地名も実在する。

 

 人名においてもその難解さ(読み難さ)は例外ではなく、ネット上では、国際的なスポーツのイベントがある度に、子猫がキーボードの上を歩いている写真の下にポーランド代表選手のユニフォームの写真が合成されただけの画像がミーム (meme) となる。

 

 ポーランド人達もそれを自覚しているようであり、彼ら自身でそれをネタにすることも少なくない。実存はしない人物であるのだが、ポーランドの戦争映画 ’Jak rozpętałem drugą wojnę światową’ (僕が第二次世界大戦を始めた経緯)の主人公 Franek Dolas がナチスに捕らえられた際、素性を隠すために Grzegorz Brzęczyszczykiewicz (グジェゴシュ・ブジェンチシチキェヴィチ) という偽名を名乗って聴取を行うドイツ人将校を困らせるシーンは特に有名(このしっちゃかめっちゃかな名前は、ポーランド語話者や学習者であれば誰もが一度は口ずさんだことがあるはず)。

 

 とはいえ、基本的には表記されたものを全てそのまま発音する傾向にあるので、語尾に来る有声子音が無声子音になるなどのルールさえ覚えてしまえば、読み方だけならば割と簡単に覚えられてしまう。


 ポーランド語で「ポメラニアの住人」を意味する Pomorzanin をカタカナ転記すると「ポモジャニン」となるのだが、たまたま誤変換で「ポモジャ人」と表記されたのが的を得ていて面白かったので、気に入ってそのまま使うことにしたのである。

 ちなみに、犬種の一種を指す「ポメラニアン」 (Pomeranian) はその英語版であり、このポメラニア地方でスピッツが品種改良されて小型化したもの。ただし、ポーランド語では Pomeranian や Pomorzanin とは呼ばれておらず、一般的にはミニチュアスピッツ (Szpic miniaturowy) として知られている模様。

 ポメラニアとは何ぞや?


 広義ではバルト海沿いの、ドイツ北東部とポーランド北西部の地域を指す言葉であるが、ポーランドには日本では県に値するWojewództwo(カタカナ転記で「ヴォイェヴツトフォ」、英語では Voivodeship という訳語が与えられている)という行政区画が16つあり、そのうちの一つである ポモージェ (Pomorze) なのである。

 

 そして、そのポモージェがドイツ語版のポンメルン (Pommern) を通して英語になったものがポメラニア(Pomerania)なのであるようだが、詳しいことは調べたことがないのでよく分からない。


 Pomorze という言葉はポーランド語の po (後ろ、後) と morze (海)という二つの単語が組み合わさってできたものであると思い込んでいたのだが、実際の所、 Pomorze の po は 「~辺り」、「周辺の」を意味する接頭辞であり、Pomorzeは「海沿い」という意味であることを知ったのは、つい最近の事。

 水産業界の方には馴染みのあるかもしれないロシアの「沿海州」に意味は近いのであるのが、ロシア語で Приморский край (Primorskii krai) と呼ばれている沿海地方が、ポーランド語では Kraj Nadmorski (’Nad’も「そばの」、「周辺の」を意味する前置詞) と呼ばれているので、あまり正しい訳語ではないようである。

 何故今更ブログなのか。

 Like, share & subscribe がやかましく唱えられる「SNSフォロワー数至上主義」のご時世で、時代錯誤なのではと。

 何を隠そう、自身は半年以上、ソーシャルメディアの類の利用を無期限停止しているのである。

 一番の理由は、今隣国で起こっている戦争について、心無い投稿をする人が少なくなかったこと。

 自身の住む街にはポーランド海軍の本部が置かれており、いざ全面戦争となれば真っ先に攻撃対象となることが明らかであるので、侵攻が始まった当初は全く寝付けない状態が何日も続き、ノイローゼ気味となっていた程。国境からは随分離れているとはいえ、全くの他人事ではなかったのである。

 ところが、それをまるでゲームの世界の出来事であるかのように面白がって揶揄する人、一個人の意見や見解でしかないものをそれが唯一の真実であるかのように得意がって書く人が少なからずいたことが元々「SNS疲れ」を感じていた自身に「とどめの一撃」を加え、これ以上神経に障ることは続けるべきではないと悟り、全てのサービスから「ログアウト」をしたっきり、そのままなのである。

 今でもFB、Instagram、Twitter、Linkedin といったソーシャルメディアのアカウントは一通り持っており、とりわけ Instagram については、地元の風景や野鳥の写真などを頻繁に載せていたため、数千を超えるファンも付いていたのだが、更新するためだけに写真を撮る状態が長く続いていたのと、フィルターや極端な加工を施された写真がもてはやされる世の中で、直球勝負で極力無修正にこだわって写真を撮ることがだんだん馬鹿々々しくなってきて、終には放り投げてしまったのが今年の初め頃のこと。うま味調味料の味に慣れてしまった大衆を、素材の味だけで喜ばせることが難しいのと似ているとでも言うべきか。

 他のサービスについては元から単なる「電話帳」状態で、解約したら「つながり」がなくなってしまう関係の人があまりに多いが為にアカウントはやむを得ず残しているものの、自身の携帯にはアプリさえダウンロードしていないので、サービス上で何が起こっているのかはさっぱりわからず。

 半年離れてみて、再開してみようという気は一切起こらず、卒寿を超えても健在である祖母がよく言っていた「半年も使わなかったものはもう一生使わないもの。捨ててしまったほうが吉」といった旨の言葉の正当性を改めて認識したほど。

 他の媒体も考慮はしたものの、YouTube や TikTok といった大掛かりな編集を要する媒体は面倒くさがりの自身の性に合わないので、文章だけで完結させられることのできるブログが最適だと判断したわけなのである。

 何故今更ブログなのか。

 

 「広告で儲けよう」、「海外生活の小ネタで有名になろう」などといった下心は特にない。

 

 そもそも、大手商社やメーカーの駐在員やその配偶者でもない自身が、ポーランドの北の果てといった僻地で、得意になってひけらかすことのできる生活など送れてはいないからである。


 自身は所謂ミレニアム世代に属し、四捨五入してまだギリギリ30という中年一歩手前の年齢であるのだが、ポーランドの北部に位置するポメラニアという土地に住み始めて早9年、仕事も含めた日常では、そこそこ使い物になる英語と、未だにカタコトの域を抜けることのできないでいるポーランド語のみで思考して生活を送っているため、日本語での入出力を行う機会が全くと言ってよい程無く、恥ずかしい話、年々自然な日本語が使えなくなってきてしまっているのである。

 

 「母語を忘れることなどあるわけがなかろう」と思われる方もいるかもしれないが、今とは時代が全く違うとはいえ、2年後には5千円紙幣の顔となる津田梅子も、米国留学後しばらくは日本語が全く出ず、思考言語は生涯英語のままであったという逸話があるし、シベリアに抑留された元日本兵で、解放後も帰国せずに現地(どの国であったかは失念。カザフスタンかウクライナであったかはず)で生活を送り続けた結果、日本語はほぼ忘れ、童謡の一つや二つを断片的に思い出せる程度でしかなかった方のドキュメンタリーをずいぶん昔に見た覚えがあるので、自身だけが特別に物忘れをしやすいというわけでもないことは確か。


 とはいえ、自身の「日本語忘れ」は割と「重症」であり、日本語で物書きをする際は、普段は朝から晩までラジオ感覚で流している YouTube の番組やポッドキャストを止めて日本語ではないものを完全に遮断し、気構えして、時にオンライン上の字引きを利用しながらでないと全く筆が進まず、会話となると、自身でも何を話しているのだか分からなくなることが多々あり、「海外生活が長いことが話し方でよくわかる」といった旨の苦言とも取れるような言葉を、一度ならず頂いたことがある程度。実際にどのように脳が機能しているのかはよく分からないものの、自身の脳の日本語を担当する部分のスイッチを探すことにさえ苦労している有様なのである。

 

 日常で使う機会がほぼ皆無であるために殆どの日本人が義務教育で6年(今は12年?)費やして習った英語をすっかり忘れてしまうように(英語ができる方は、高校で習った数学や化学の公式、大学で選択した第二・三外国語等々を思い浮かべて頂けると良い)、言語にしろ、技術にしろ、知識にしろ、使わないと忘れるというのが現実。

 

 日本語が出来なくなってきている原因がはっきりと分かっている以上、対処しないわけにはいかないので、このような形でその「治療」を始めることにしたわけなのである。


 面白いことは書けないので、書こうとしない。


 とりあえずは日本語を使うことが目的なのである。