サンアイリスの平塚さとみです。

スリランカの同時爆発テロ。
日本人女性1人を含む290名の犠牲者の方々に、
お悔やみ申し上げます。
また多くの負傷者の方々が、早い回復をされますよう、願っています。

私はスリランカと仕事を始めて今年で10年になります。

スリランカでは、長い期間内戦が続いていて、それが終結したのが、2009年5月。26年間、宗教戦争が国内で続いていたのです。

私はそんな事も知らずに、タイミングと出逢いで、2009年8月に起業し、スリランカとの仕事を始めました。

最初に、鉱山オーナーから依頼されたのが、

「アスファルトフィニッシャーを仕入れたいのだけれど、手に入らないか?」との事でした。

これは、工事現場などで道路を舗装する為のもので、オーナーが欲しかったのは、高速道路を舗装するものでした。

日本の戦後復興は目の当たりにしたことはないけれど、あーこれから、道路を舗装して、色々なものが作られていくんだ!と感じました。

私は、様々な、建設関係の会社に問い合わせたり、実際に足を運びましたが、
実は大きなものは、兵器のような扱いになるらしく、簡単に輸出出来るものではなかったのです。
どこに何台あるかまでは、調べ上げましたよ。

スリランカでは、国民全体で、内戦が終わり、平和な日々に感謝する、そのような明るい勢いに溢れていました。

私が実際にスリランカに行ったのは、2011年が初めてでしたが、その時は高速道路はまだ無かったですし、高い建物も貿易センタービルくらいでした。ホテルもスリランカ独自のものばかりだったような。

女性はかなりの人数がスリランカサリーを着ていて、男性も白いロングスカートみたいなものを着ている人が多かったです。

Wi-Fiもコロンボのホテルでは何とか通じますが、地方に行ったら、ほぼ繋がらなかった記憶。

ですから、こちらからアクセスしない限り、
日本とは繋がらなかった。

それが、2年後くらいには、高速道路も出来ていて、コロンボ市内は外国経営のホテルが建設ラッシュ‼️

今回行った際は、ここは、香港?シンガポール?くらいの近代的な感じに変身していたコロンボ。

Wi-Fiに至っては、地方でもサクサク繋がる。日本よりも繋がるのでは?
LINEなんかもガンガン入ってくるので、日本にいるのと変わらないくらいでした。

服装も、洋風なものになり、Tシャツにスカート、シャツにズボンみたいな。スリランカサリーをあまり多くは見かけなくなりました。

内戦状態が続いていた時は、地雷が埋め込まれていたり、緊張する日々を送っていたので、

一気に復興ムードになったのが、様々なところから知ることが出来ました。

ブラジルやアフリカなども宝石採掘で有名ですが、
スリランカの宝石が、あまり荒らされずに残っているのは、実は内戦状態が続いたので、外国から多くの人が来ていなかったから。

自然や世界遺産に関しても同じです。
荒らされてないのです。

8年前にスリランカに初めて行った時は、
観光客はほぼ欧米人で、8日間の滞在中、
アジア人に会ったのは、お寺でカンボジアからの人達3人のみ。
私は当時、スリランカの人たちに何回も振り返られて見られました。そのくらい珍しかったのです。

それが、今では、観光したい国No. 1に選ばれるくらい、人気に。

そのスリランカの平和と安定を脅かす
今回の事件。

本当にあってはならないことです。

スリランカと日本の繋がりとして、
知っていて欲しいこと。

日本が第二次世界大戦で敗北し、
国自体を分断されそうになった時に
救ってくれたのは、サンフランシスコ講和会議でのスリランカの大臣
JRジャヤワルダナ氏の演説。


ジャヤワルダナ代表は、日本に対する賠償請求権を放棄する、と続け、その理由として、仏陀の「憎悪は憎悪によって消え去るものではなく、ただ愛によってのみ消え去るものである」を引いた。

詳しくは以下を!

今の日本が、どこかの植民地になることもなく、
発展して来れたのは、
実はこのスリランカ人のスピーチのお陰と
知っている日本人はどのくらいいるでしょうか。

私も、スリランカと仕事をするまでは、この事実を知りませんでした。

スリランカの平和と復興の為に、
日本からも多くのパワーを送りましょう。

憎悪は憎悪によって消え去るものではなく
ただ愛によって消え去るものである。

この想いが、多くの人々に届きますよう。

スリランカ🇱🇰というと、
サンアイリスを、
さとみさんを直ぐに思い出した!
というお友達の方々、ありがとうございます。

スリランカが、
素晴らしい国だと伝える役目が
私にはあると思っています。

長い文章、読んで頂き、ありがとうございました。