昨夜遅く、仙台の部屋に帰ってまいりました。
余震と放射能汚染が、何よりも心配な我が支店長は 黄色の災害用ヘルメットと SARS用マスク着用でご出勤です。
昨晩は部屋の片づけ、今日は事務所の片づけと まだ連絡がつかないお取引先の安否確認です。ネットの避難者名簿で確認できたのはわずか1名でした。TVで流され続けましたが、毎月訪れた土地の悲惨な状態を思うと 命だけでも助かってくれていたらと今日も祈るばかりです。
出張中に宮古市内で震災に遭い、昨日戻るまでの顛末を 記録の意味でもブログに残そうと思いましたが、たった今 TVで避難所からの安否情報を伝える画面をみて、手が止まりました。
家も車も衣類一つなく、いのちひとつで非難したはずの老夫婦、お一人で住んでいたかもしれない、おじいちゃん、おばあちゃんが、
「私たちは元気で非難したから、大丈夫だよ」
「無事ですか? こちらはみんな大丈夫だから心配しないで。安心してください」
「相変わらず元気でやっているが、そちらはどんな様子か心配しています」…
涙が出ました。
自分の身が真っ裸にされ、明日もわからない状態でも 遠くにいる娘、息子たちの無事を先に祈る…
この人たちの魂は とてつもなく透明に輝いていると思いました。
自分がとても恥ずかしくなりました。
私の部屋も断水が月末近くまで続きます。お手洗い、洗濯、シャンプーはいただいた水量ではほぼ無理です。ガス復旧については1か月先か または見通し立たず。秋田から仙台まで 停電と凍結の暗い道路をガソリンをたしながら11時間かかりました。市内は夕方からの大雪のなか、車中泊・早朝のガソリンスタンドのオープンを待つ車が路側帯に長い列をつくっています。コンビニ・スーパーは全て閉店。スーパーが一店だけ臨時に開くとなると数百人もの人が早朝から並びました。日によっては一日一食です。
…みんな、どれも、恵まれています。
以前の生活からすると不便だし、別の角度からのストレス・腹立つ思いもあるし、生産的はことは何もせず生きていますが、
電気が使えます。暖がとれます。ネットもできます。洋服も家もあるし、家族・友達も無事だし、仕事も失ってまではいません。
それどころか、実家の家族が水、食料、ガソリンの手配を手伝って送り出してくれました。遠くの友達がメールや電話で無事を喜んでくれました。
恵まれすぎですね。
最後に
~一被災地に住む一市民としてみなさまへ~
計画停電の不自由を受け入れてくださっている方々、
物資・お金の援助、またそれを運営し災害地へ届けてくださる方々、
国民生活を守るために寝ずの討論、作業をしてくださっている方々、
不便な生活をいとわず 節電節水してくださっている方々、
どんな援助が必要か考えてくださっている方々
発電所や被災地で まさにいのちがけの人命救助、ライフライン・物流回復、復興のため働いてくださっている方々、
燃料の不足をいとわず 被災者のため営業を続けて下っている方々、
経済を止めないよう 毎日の通常のお勤め、生活を続けてくださっている方々、
ほんとうにありがとうございます。皆様のご活躍は被災者のため、日本のため、社会全体のためのご活躍です。
おかげ様で私たちは生きています。
大変ですが、皆様 もう少しだけ、お力をお貸しくださいませ。
ライフラインや食事、衣類、車、家。失ったものは数知れません。観光や癒し、娯楽のロケーション。東北にも張り巡る高速道、新幹線、飛行交通網、基幹産業である農業、漁業、観光業。教育機関、運動施設、病院、町そのもの。
皆様とわたしたちの力をもってしても、もしかしたら 元に戻らないものは数多いのかもしれません。
おしゃれなファッションやスポットやグルメ、地位やブランド、ライフスタイル、寝ずに休まずに働き 常に上を目指す資本主義…、私たちが欲しがっていたものは 私たちが手に入れてきたものは もしかしたらもう手に入れなくてもよいものなのかもしれません。
何もかもを失った今、元の生活のありがたさを思い、じつはずっと天国を享受していたのだと気づく。
なのに、誰かに頼ってでも 元と同じ生活を望んでしまう。
私は、ゆれています。
きっと 世の中全体が揺れています。
それでも 皆様と一緒に明日を、来月を、10年後を迎えたとき、次世代が時代を担う世を迎えたとき、
「この事態」が私たちの将来に 起こらなければいけない貴重な経験だったと気づきたいです。
私たちと皆様がつくった 新しい社会を見たいです。