過ぎ去れば淡雪のごとし

過ぎ去れば淡雪のごとし

80歳を越えてブログ挑戦です。お見苦しいところがあってもご容赦ください。

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 急に胸苦しくなって近くの掛かりつけ医院に受診した時のことだ。
ベットに横になった私の血圧を看護師さんが測った。その時、血圧計を外しながら、看護師さんの手がそっと私の二の腕に触った。聴診器を持った先生が側に来られた時、看護師さんが「先生、少し熱があるようです」と言いながら、再度私の腕に手を添わせた。

 平熱よりやや高めだったが、手に触れた患者の体温を感知した看護師さん。職業とはいえその優しい手の動きに私は感動した。「ナースの仕事、当り前」と言われそうだが、私にとっては”優しさの極み”だった。母親が子供の額に手を当てて体温を看る、あの優しさを感じたのである。

 今一つ、忘れられない「手」の思い出がある。
六十八歳の時、初期の乳癌で娘に付き添われ入院した。病院は小高い丘の上にあり、病室の窓からは美しい夕焼けが見えた。沈む太陽とともに空一面に光る雲の流れを毎日眺めた。窓ぎわに椅子を置き、窓枠に両肘をついて見上げていると、右胸全摘の喪失感からか、家に残してきた夫や孫のことか、涙がとめどなく流れた。
 そんな時だ、決まったように同じ看護師さんが音もなく入室してきて、私の背中を優しく撫ぜた。何も言わず、そっと、そっと、私の涙が止まるまで・・・。あの懐かしい、優しい「手」と同じ温もりの感覚に、近くの医院で出会ったのだ。

 ある日の夕餉のこと、毎日ぐったり疲れて帰宅する娘は、当事、中学生だった孫息子に勉強を教えながらいつもうたた寝をする。孫は母親を起こさないようにそっと毛布を肩に掛ける。母親は薄目を開けて息子の「手」をちらりと見て、すぐまた目をつむる。
 その後だ、娘の枕元に座って新聞を読んでいた私の背中を撫でる者がいる。振り向くと娘だった。息子に掛けてもらった毛布の下から伸ばした娘の「手」が優しく私をつつむ。
 
 あれから10年の歳月、今も仕事から帰宅すると、すっかり老いた私を乗せて、病院通いのハンドルを握るその「手」。

 人は皆、優しさに触れるたびに「生き」の喜びを感じるのだ。