私の誕生日は2月12日でした。正式に29歳になり、20代最後の年を過ごします。多くの人が誕生日を祝ってくれて、私が良い人々に囲まれていることを思い出しました。私はいつも、周りにいる人々の種類をその人のカルマと関連付けています。もしこれが本当なら、私は良いカルマを持っていることになります。誕生日はビールを飲みながら、日本語の練習のために静かに書き物をして過ごしました。良い一日でした。
私の宿題にはまだ修正が必要です

研究旅行の提案書も修正のために返送されました。どうやら、私は何年もこの申請をした最初の人のようで、アドバイザーたちもルールが明確ではありませんでした。彼らは私がこれに対して怒るのではないかと心配していましたが、これはより強力な提案書を作成できることを意味します。将来的には、私の大学が他の学生が申請する際の例として私の提案書を保持できることを望んでいます。これが将来の研究者が海外で学ぶのに役立つと思います。
また、司馬遼太郎についても話したいと思います。2月12日は彼の命日でもあります。彼は私が生まれた同じ日に亡くなり、大阪や日本中の多くの人々にとって辛い出来事でした。彼は第二次世界大戦中に軍に徴兵され、戦車の整備士になりました。彼はその仕事があまり好きではありませんでしたが、最善を尽くしました。それにもかかわらず、彼は歴史、文学、言語の勉強を続けました。どうやら彼は軍隊にいる間に詩のクラブを始めたようで、当時は奇妙だと言われていました。軍を離れた後、彼は新聞社で働き始め、小説家になることを志しました。彼は多くの本を書き、フィクションの要素を使って人々に歴史を教えました。
講談社『週刊現代』10月1日号(1964)より。ウィキペディアから。

私はしばしば自分を司馬遼太郎と比較し、彼のようになりたいと願っています。彼のおかげで歴史小説を書くことを考えていますが、まだ十分な作家ではないと思います。しかし、もしかしたらまだ準備ができていないだけかもしれません。次の日本への旅行と日記をつけることが、私の目標に必要な経験を与えてくれるかもしれません。いずれにせよ、考古学者および歴史家として私に絶えずインスピレーションを与えてくれる司馬遼太郎に感謝したいと思います。また、私の旅と勉強を支えてくれるすべての友人にも感謝したいです。未来と人生が私に投げかけるすべてのことを楽しみにしています。
ありがとう。
~サミュエル
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