亡き娘...
ママ、足に何か変なのがある
と娘から聞いたのは、高校3年生に進級したすぐの事でした。
翌日娘1人で、近くの整形外科へ行くと、親と一緒に来てください...との事で、一緒に行くと、大学病院を紹介されて、その後は、検査検査の毎日でした。癌と分かっても、病名が分からない...![]()
その何週間後には、筋肉と一緒に腫瘍を摘出する手術。娘が、手術している最中も、1人車の中で何時間も泣いていました。私の体の一部が、もぎ取られてしまう、そんな感じで...![]()
大切な我が子の体に傷をつけてしまった...
気づいてあげれなかった後悔...![]()
手術が終わり、検体を見ますか?とお医者様から伝えられ、見せてくださいと...![]()
私のお腹から産まれた我が子の一部。決して目背いたりしない。そんな思いで、見せて貰いました
手術の翌日病院へ行くと、娘、歩けない、声も出ない。携帯持っていても、充電出来なくて連絡すら出来ない事を知った時![]()
時間が許す限り私は、ずっと娘のそばにいると決めました。それからは、病院の許可を頂き、毎日通い、朝から夜まで、時間の許す限り、ずっと娘のそばにいました![]()
娘の前では、決して涙なんて、見せなかったのに、帰りの車の中で、自然と沢山の涙が流れて、目の前の車は、涙に隠れて、かすれて見えない。自宅についても娘はいない![]()
待っていた主人、あまりにも目腫れてる私を見て時には、また、泣いただろ
と...泣いてばかりいると、暗くなってお化けが出ると...![]()
それ以降、受け入れるまでは、かなりの時間がかかりましたが、絶対に、泣かない。そう決めました![]()
当時、同じ病気の症例も数少なくて、手探りの状態での治療...治療方は、たった一つ。腫瘍を摘出するだけ。効く薬💊などない![]()
やっと病名が分かったのは、2、3ヶ月たった頃...
胞巢状軟部肉腫、悪性の癌、余命5年![]()
高校3年生だった娘...病名知りたいと...伝えました
ママも、高校3年生の時、急性腎盂腎炎で救急車で運ばれて、今日、明日が...となった事あるけど
楽しい事見つけよう![]()
余命5年の娘に、一生分のやりたい事、これからの人生、皆んなが時間かけてやるであろう事を、出来る限り我慢させずにやらせてあげたい...![]()
それからは...
高校3年生の娘...ここまで通って来た。手術してまもない。足の筋肉もない。
今までみたいに、自転車、電車では、高校へ行けない![]()
職場に相談して、学校に相談して、
朝5時に起きてお弁当作り、車で1時間かけて、高校へ送り、1時間かけて職場へ行き仕事。
その後、仕事を早く切り上げて、学校へ娘を迎えに行き、雨の日も雪の日も、毎日休まず、一年近く通い、娘は、無事に卒業![]()
そんなある日、私の体に異変が...![]()
鼻血が毎日30分以上止まらない。時には、職場へ行く最中に、鼻血。コート血だらけになった事も
娘と一緒に過ごせる時間は、限られてる![]()
娘に、働くのと、お小遣い貰うのと、どっちがいい?と娘に聞くと...働きたいと![]()
筋肉をとっても、他の筋肉が、それを補おうとして、大きくなるとの事で、娘は、大分歩ける。自転車にも、乗れるようになった![]()
治療法がない癌。娘の酸素80ぐらい。
酸素が脳へいかない分、どこかが、機能しなくなってくる...と、お医者様から...娘の命は、少ない...
治療法もない娘の病気、この先、いつどうなるか?誰にも分からない...
扶養から外れて、会社の保険に入り8年近く勤めていた職場にも、これ以上、迷惑かけれない...
娘の病気が分かり、沢山お世話になった職場でしたが、退職して...娘の送り迎えしながら働ける職場を探しました![]()
娘は、娘の事を全て受け入れてくれた職場に、就職できました![]()
私は、扶養範囲内で働ける会社を探し、娘の事を受け入れてくれた職場に、私の事を受け入れてくれた職場に就職できました![]()
ですが、話した所で、全ての人が受け入れてくれたわけではなくて...![]()
私の母からは、娘の痛そうな姿見たくないと...![]()
娘のたった一人の大切なお友達は、娘から離れてしまい...![]()
私は、それ以来、娘の悲しむ姿これ以上見たくない。その思いから、私の両親、姉妹、子供達、主人にまで、何があっても、話さないと決めました
それからは、娘と二人で旅行へ行ったり、買い物へ行ったり、時には、酸素70しかない娘、ジェットコースター乗ったり...![]()
そんな私や娘の姿を見たお医者様から...
娘さんの体の事知ってますか?どう思っているんですか?と...言われた事も![]()
余命5年。それだけでも辛いのに、辛いのに、辛い事ばかりなら、辛い事しか残らない。
ならば、少しでも楽しく過ごしたいと...伝えた![]()
それからも、脳に転移して2度の摘出手術。
肩の骨に転移して、骨折。
酸素の機械20リットルつけてる。娘の酸素、それでも、既に40しかない。いつどうなってもおかしくないとずっと言われ続けて...
時には、娘の心臓が丈夫だからでしょうと...お医者様から
亡くなる日の朝もいつものように、朝食をとり、
ママ喉乾いたと...水分をとった。その直後、急変
娘にモニターつけると、ずっとなりっぱなし...
なので、モニターつけてない。急いで、娘のパルスオキシメーターを娘の指につけると...![]()
みるみるうちに、酸素が減っていく![]()
娘の好きだった事...
主人がいつも競馬、娘の分も携帯で買っていた。
それが当たっていて、娘は、まだ知らない。
娘に競馬当たってたよ
って伝えると、娘の酸素の数値が上がった。このまま戻って来て...
私がとりみだしたら、一生懸命に呼吸整えてる娘が辛くなる。私は、ただ、酸素が戻るの祈るしかなかった。その後、20、10、0...
その後、そっと酸素マスク外しました![]()
亡くなる最期まで、弱音など一切吐かない、余命宣告5年と伝えられてから、7年間生きてくれました![]()
最期、娘の火葬された姿見ると...
頭には、沢山の釘のようなものが...肩には20センチぐらいの金具と、ボルトが...![]()
もう自由に、何処にも行けるね。酸素なくても大丈夫だよ。
皆んなに、娘の事知らせたのは、亡くなってからでした。
いつどうなってもおかしくない...
それでも、娘は、生きてる。伝えたら本当に娘がこの世からいなくなってしまうような気がして...
娘との、大切な時間を、私にくれた、職場の方、お医者様、救急隊員の方、まわりの方々、
ありがとうございました。
亡き娘へ...沢山の思い出を、ありがとう...![]()
娘と過ごせた時間は、私の宝物です...![]()
今度会えたら、2度と離れない様にずっと手握っていようね...