終戦から70年。
私が生まれる53年前。
戦争があったことは
だいぶ前に感じるのに
数字にしてみれば
結構最近で。
それはたしかに
被害に遭われてる方もいきているから
当然なのかもしれないけど、
当時の映像や音声を聞いても
だいぶ昔なんじゃないかと
錯覚してしまう。
あのとき、
平穏なはずだった朝に
突如訪れた悲劇。
誰か数人の手によって
何万人もの命を奪われた。
たった一瞬で。
あのとき
落とされた場所が違ったら?
もしかしたら、
わたしも、今存在するすべてのひとも、
いなかったかもしれない
って考えると怖くなる。
でも逆に
原爆が落とされなかったら
非核三原則なんてものはなかったわけで
もしかしたら
私たちの国も核保有国として
存在したかもしれない。
それはそれで怖いけれど
どうなっていたんだろう。
広島にも長崎にも
たくさんのひとの人生があって
ずっと続いてくもんだと思って
それなのに一瞬で
何年もあるはずだった未来を消されて。
被爆して生き残っても
身体だけでなく、心にも
大きな傷を背負って。
被爆者であることへの偏見。
何年経っても忘れられない過去。
語り継ぐことのために
自分の人生を捧げていること。
将来の夢も
やりたいことも
たくさんあったはずなのに、
生き残ったひとにも
さらなる仕打ちをかける。
せっかく生き残ったのに
『あの時死ねばよかった』なんて
言わせちゃダメだよ、、
少なくとも周りの人たちの手で。
違うことに使うために開発された核兵器が、いまや誰かを殺すための道具でしかないことに怒りを感じる。
核保有国がすべて核兵器を廃絶したらいいのに。
卑怯な道具なんか使わないで
拳と拳でぶつかりあったらいいのに。
たくさんのひとが住んでて
2人でも喧嘩するんだから
戦争が起こらないことなんかないと思うんだけど、関係ない人を巻き込んでまでしなくていいと思うな・・・・・。
安保法案、私は反対です。
また同じような悲劇が
起こって欲しくないから。
国を守ることも大切。
でも。
守るためにたくさんの国民が
命をおとしてしまうかもしれないのなら
わたしはいやだ。
いまや、あの時の原爆の威力より
凄まじい威力の核兵器なんて
いくらでもあると思う。
せめて私たちは
参加しちゃだめだよ。
あのときたくさんの方が犠牲になって
過去は消すことできないから
身をもって教えてくれたことを
裏切っちゃいけないと思う。
『世界平和』なんて
訪れる日が来るのかはわからないけど
わたしたちはいつまでも
『平和』を訴えていきたい。
それが今を生きる私たちの使命だと思う。
もう少しで、終戦記念日が来る。
争いのために命を捧げた兵士や
無惨に奪われた命のぶんまで
強く生きていこう。