ノビと結婚
先週末、ばったり会社帰りにノビ夫婦に出会った。
そのあまりの偶然に吃驚したついでに、結婚後初めて同時に会うことだし、ちょこっと飲みに逝ってみた。
そこでノビはアイロンが出来ないけど洗い物はきっちりしてることや、まめにスーパーを回って買い物をすることなど、二人の生活が垣間見れて本当に嬉しかった。
思い返せば、ノビの嫁のしずかちゃん(仮称)はもともとぼくの友達だった。
今まで、出会いを作ったのは間違えなくぼくだし、その結果だけいえばぼくが居なかったら二人は結婚どころか出会ってもいなかったろうと、控えめに思っていたが、それはとんだ思い上がりじゃないか?と帰りの電車でほろ酔いの頭でふと思った。
そう、ぼくはたまたまそこに介在していただけで、ぼくはいなくても二人は何らかの形で出会い、恋をして結婚していたのかもしれない。
そう考えると、そこに介在したことに対して感謝をするべきなのかもしれない。
なぜならそのことにより、先週末にぼくはとっても幸せな気分になれ、とってもいい酒が飲めたからだ。
飲みすぎてちょっと気持ち悪くなって家に帰ったら倒れるように寝てしまったくらいだ。
ノビ。あんなエロリーマン呼ばわりした上、無断で写真使ってごめんな。
本当に末永くお幸せにノビ&しずかちゃん(仮称)
そのあまりの偶然に吃驚したついでに、結婚後初めて同時に会うことだし、ちょこっと飲みに逝ってみた。
そこでノビはアイロンが出来ないけど洗い物はきっちりしてることや、まめにスーパーを回って買い物をすることなど、二人の生活が垣間見れて本当に嬉しかった。
思い返せば、ノビの嫁のしずかちゃん(仮称)はもともとぼくの友達だった。
今まで、出会いを作ったのは間違えなくぼくだし、その結果だけいえばぼくが居なかったら二人は結婚どころか出会ってもいなかったろうと、控えめに思っていたが、それはとんだ思い上がりじゃないか?と帰りの電車でほろ酔いの頭でふと思った。
そう、ぼくはたまたまそこに介在していただけで、ぼくはいなくても二人は何らかの形で出会い、恋をして結婚していたのかもしれない。
そう考えると、そこに介在したことに対して感謝をするべきなのかもしれない。
なぜならそのことにより、先週末にぼくはとっても幸せな気分になれ、とってもいい酒が飲めたからだ。
飲みすぎてちょっと気持ち悪くなって家に帰ったら倒れるように寝てしまったくらいだ。
ノビ。あんなエロリーマン呼ばわりした上、無断で写真使ってごめんな。
本当に末永くお幸せにノビ&しずかちゃん(仮称)
「恥ずかしさ」の文化的差異
大学生の時、文化人類学を勉強していた。
今でもそうなのだが、人の暮らし方や風習・考え方になんでか凄く興味があって、その我々の文化と違うということに知的好奇心を満足させていた。
今思えば、他の文化との差異を探すことで、日本人として生まれてきた自分の立脚点を探ろうとしていたのかもしれない。
そんな中「恥ずかしい」と思う場合は文化によってかなり違うということを知り驚いた。
特に印象に残ったのが、ある南方の部族は「食事をしている姿を見られる」ことが最高に恥ずかしいらしいという話だ。
日本人なら最高には恥ずかしい裸を見られたりとか、あんなことやそんなことまで・・みたいなのはぜんぜん平気らしいが、モノを食べている瞬間を見られるのはありえないらしい。
実際その部族は隠れて食事する部屋みたいなのがあるらしい。
そこで思ったのが、もしその人らが隠れて食べている姿を見かけたらどうなのだろうということだ。
つまり見られる方はこっぱずかしいわけだが、その反対の見る方はどう思うのだろう?という疑問だ。
安易に考えると、隠匿→性的興奮と考えてもいいのではないかと思う。
つまり社会的タブーとされている事には、精神的快感を伴うという考え方だ。
その場合社会を構成員全員そう思うとは限らないが、一般に「フェチ」と呼ばれるその手の嗜好者(他人の食事をする姿に興奮する)の割合が、他の社会と比べ高い確率で存在するであろうと考えられる。
もしかすると彼らは「食いしん坊!万歳」に死ぬほど興奮し、「食わず嫌い」を見たら卒倒するのでは?
「大食いチャンピオン」などをもし見てしまったら、あまりの出来事に悶絶するかもしれない。
なぜならまさに無修正モロ見えモザイクなし。
本当に世界は広い。
現「食いしん坊!万歳」リポーター松岡修三氏にも、重々注意を呼びかかる次第である。
ちなみに、どう注意したらいいのかはまったく解らない。
あとぼくはその手の趣味はまったくないことをここに宣言しておく。
今でもそうなのだが、人の暮らし方や風習・考え方になんでか凄く興味があって、その我々の文化と違うということに知的好奇心を満足させていた。
今思えば、他の文化との差異を探すことで、日本人として生まれてきた自分の立脚点を探ろうとしていたのかもしれない。
そんな中「恥ずかしい」と思う場合は文化によってかなり違うということを知り驚いた。
特に印象に残ったのが、ある南方の部族は「食事をしている姿を見られる」ことが最高に恥ずかしいらしいという話だ。
日本人なら最高には恥ずかしい裸を見られたりとか、あんなことやそんなことまで・・みたいなのはぜんぜん平気らしいが、モノを食べている瞬間を見られるのはありえないらしい。
実際その部族は隠れて食事する部屋みたいなのがあるらしい。
そこで思ったのが、もしその人らが隠れて食べている姿を見かけたらどうなのだろうということだ。
つまり見られる方はこっぱずかしいわけだが、その反対の見る方はどう思うのだろう?という疑問だ。
安易に考えると、隠匿→性的興奮と考えてもいいのではないかと思う。
つまり社会的タブーとされている事には、精神的快感を伴うという考え方だ。
その場合社会を構成員全員そう思うとは限らないが、一般に「フェチ」と呼ばれるその手の嗜好者(他人の食事をする姿に興奮する)の割合が、他の社会と比べ高い確率で存在するであろうと考えられる。
もしかすると彼らは「食いしん坊!万歳」に死ぬほど興奮し、「食わず嫌い」を見たら卒倒するのでは?
「大食いチャンピオン」などをもし見てしまったら、あまりの出来事に悶絶するかもしれない。
なぜならまさに無修正モロ見えモザイクなし。
本当に世界は広い。
現「食いしん坊!万歳」リポーター松岡修三氏にも、重々注意を呼びかかる次第である。
ちなみに、どう注意したらいいのかはまったく解らない。
あとぼくはその手の趣味はまったくないことをここに宣言しておく。