交響詩「希望」 | alcyoneのブログ

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みなさんは、『はやぶさ』という小惑星探査機をご存知でしょうか?

先進的なテクノロジーの工学実証実験のため、遥か彼方の小惑星『イトカワ』に飛び、その学術的データと試料を採取し地球に帰還する、サンプルリターンという世界初のミッションを負って、現在も地球を目指し飛び続けています。


2003年。
『はやぶさ』は小惑星『イトカワ』に向け、国産ロケットM-Vで地球を飛び立ちました。

『はやぶさ』に課せられたミッションは2つ。
 1.微小かつ不安定な重力を発生するイトカワに
   接近、着陸し、サンプルを採取する。
 2.イオンロケットエンジンにより巡航し、試料
   と共に地球へ帰還すること。

しかし2005年12月、幾度かのトラブルを抱えながらイトカワのサンプル回収に成功したはやぶさは、燃料漏れトラブルをきっかけに交信を絶ってしまいます。
およそ3ヵ月後、年をこした2006年1月末。
あらかじめ備えられた自律回復機能により再び地球との交信を再開したはやぶさは満身創痍の状態でした。
ここから、はやぶさと地上管制の、帰還に向けた厳しい戦いが始まりました。

『はやぶさ』、『イトカワ』、サンプルリターン計画の詳細は下記コピペ&動画にて。



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小惑星イトカワとは、日本の宇宙開発の父である糸川英夫氏に由来する。
彼は戦後の貧相な開発環境の中でロケット開発に全精力を傾け、宇宙開発に理解の無かった国家や企業を必死で口説き落とし、やっとこさ開発の援助の約束を取り付けた。
決して充分とは言えない予算と支援体制の中、七転八倒しながら、時には旧社会党の左翼連中からの妨害にも遭いながら、苦難の末、日本初の人工衛星打ち上げまでこぎつけた。
それも世界で4番目に。
打ち上げたんだぞ。それも純・民生技術でな。


彼は戦前、航空機の技術者だった。
彼の携わった一番の代表作こそ、戦闘機「隼」だ。
この隼は当時、国民の間で圧倒的人気のあった航空機。
まさに日本を代表する高性能航空機であり、これからの日本の航空技術の飛躍を期待させるものだった。
実際、長い航続距離や艦上運用を要求されていた零戦を凌ぐ純粋培養の、日本で最強のドッグファイターだった。


しかし敗戦と占領政策による航空機開発の禁止によって、日本の空の技術は壊滅的打撃を受けた。
多くの航空機技術者は空への夢を捨てざるを得ず、ある者は新幹線を、ある者は自動車開発へと向かって行った。
しかし最後まで糸川は空への夢を捨てず、ロケットと人工衛星に自らの思いを託し、日本宇宙技術の基礎を固めた。


敗戦の時、自分たちが作り出した航空機の多くが焼かれ壊され、破棄され、新規の技術開発も禁止され、技術者の多くは涙し、絶望した。
しかしその絶望から立ちあがり、日本の航空技術の復権と発展を賭けた、技術者達の血と涙、執念、夢と努力の歴史。
その結晶を背負って、半世紀以上の時を経て、もう一度「隼」は「糸川」に出会ったんだよ、宇宙(そら)で。


1945年。
多くの特攻機が空に舞った、その中に名機「隼」の姿もあった。
無数の特攻機、そして「隼」も、敵艦の眼前で、幾多の悲しみと共に燃え尽きていった。
あの夏。
敗戦の時。
多くの人々が涙した。
技術者も、涙した。


あれから65年後、2010年6月。
ハヤブサは、帰還した地球の空で燃え尽きる。
しかし、もしそれを目にして涙する者があったとしても、その涙は、あの夏に流れた涙とは、違う。



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わかりやすい動画(これを見てからだと、より解りやすいと思います。)



こういうこと書くとチープな感じになっちゃうけど、でもガチで、涙無しでは見られません。


現在、JAXAでは『はやぶさ2(仮』ミッションを計画中です。
皆様の支援が直接の後押しとなって、この構想を実現させる助けとなります。
べつに資金援助とかじゃなく、口コミとかで充分です。
どうか皆様の温かいご支援、ご協力をお願い申し上げます。
そして我々の「過去」であり「未来」でもある『はやぶさ』の、無事の帰還を共に祈って欲しいと思います。


がんばれ、はやぶさ!!