「モモ」

ある古代遺跡の近くに

身寄りのないひとりの少女モモが住んでいた

彼女の身なりはボロボロで

髪の毛はもじゃもじゃだったのだけれど

 

近くの子どもたちはモモと一緒に遊ぶと

まるで遊びが本当の出来事のように

ダイナミックでドキドキはらはらと感じられ

いつもモモは遊びの中にいた

 

だけど特にモモが何かを言うのでもなく

いいアイディアをみんなにいうのでもない

 

モモがいるだけで遊びが楽しくなるのだ

 

そしてモモには親友がいた

掃除夫のおじさんだった…

 

今でも思い出せるそのお話は

ドイツの文学者ミヒャエルエンデの書いた児童文学「モモ」である。

 

そんな空想の世界の楽しい時間を

「灰色の男」たちが次々と奪っていく

 

効率、お金、時間を「そんな無駄なことに使っていいのか?」

「もっと節約したまえ」と言って

時間銀行に愛と夢の大切な命の時間を灰色の男たちが奪っていくのだ。

 

人々っは次第に無表情になってせっせと働く

喜びも愛も盗まれたとは気が付かずに…

 

私が中学生に出会った本の内容が今でも鮮明に思いだされる

 

あれは、ファンタジーの世界の話だろうと思いつつも

現実が近づいている危機感を覚えた

 

あれから35年経った

完全に世界は灰色の男たちの勝利になった

誰もが忙しく無表情で節約して命の時間を奪われ続けている

 

世界の経済社会はほとんどの人が灰色の男たちに奪われたから

「それは違う、もっとゆっくりしようよ」

「今の時間を心から楽しんで」

なんて言ったら、

 

「何を言ってるんだい?」

「一生懸命働かなくちゃ、生きていけないじゃない?」

「幸せっていうのはお金を儲けて安心して暮らすことだよ」

「だから今必死で暇を惜しんで働かなくちゃならない!」

 

というんだね。

 

もちろん経済活動は生きていくうえで大切。

 

でも何のために生きるの?って言ったら

経済活動のためでも、頑張って生きるためでもなく

 

自分を含め、周りの人が幸せになるために生きるんじゃないかな

お互い愛で結ばれるために生きるんじゃないかな

 

人々が楽しく安心して生きるための社会の仕組みなんじゃないかな

 

なんだか逆さま?と思う。