「そういっても、あなたは何もしていませんよね?」
長い私の説明を聞き終わったとたん
その人は言った。
「実際に、発達や環境、シックハウスのことから
いろんなことを学んで伝えたいというなら、
普通、そういった場所に行って発達の子に携わってみるとか
そういったコミュニティーに参加して活動するとか
してみるはずでしょ?」
「あなたは言っているばかりで何もしていない」
私はその叱責をただただ言葉をのんで聞くしかなかった。
やっと出てきたのは
「…はい」の一言。
霊視のできるその人の言葉に返す言葉はなかった
そして、こう続けた
「現実社会であなたのようなことを言う人は営業妨害です」
「あなたの思うことと現実の仕事は別のことです」
「だって、あなた何の専門性も社会的経験もないでしょう?」
「これから育っていく人とあなたのような年齢の人では
若い人なら雇ってもらえるけど、今からならば厳しいでしょ?」
痛烈ヒット!4連発。
「そして、あなたは主婦の生活に慣れすぎたんです」
これでノックアウト。
「…。」
25年間主婦をして本当に社会のことを知らずに
世の中に対して吠えるわけにはいかない、と
勉強をして、いろいろ知れば知るほど、
自分の出る幕ではないと噛みしめる日々だった
自分の子育てのころにはまだユニバーサルデザインなんて走り口だった
実生活上では、不便なことばかりだった
発達障害なんて言葉もあまり世に出ていなかった
急増していたにもかかわらず、
社会的な認識が実態に追い付いていなかった
コミュニティーとかサークルとかも地域の情報機関からしか降りてこなかった
しかし、私の感覚として2011年以降、ネット環境等急速に進歩して
瞬時にlocalを超えてあらゆるところとつながることができるようになった
街は誰でも使いやすいデザインが広がり
店では普通にオーガニック食品が並ぶようになり
日用品では環境にやさしく人にも優しいといわれる商品が出回るようになった
建築もしかり
教育現場でもあらゆる障害に対応するようになった
そうして、勉強を終えた2015年には
私の思うことは世の中が実現していた
途方に迷うばかりの2016年からの3年間
世の中に認めてもらえるようにと資格を取り
ハローワークの就職案内に通った
現実の場で
どうしようもない心の嘆きを現実に降ろすことができれば!
と思っていたのだが…
そんな場所はどこにも見つかられなかった
次第にその心気も消え、夢らしきものはなくなっていた
さらに、目の前のこの人はさらに続けた
「あなた、断捨離って知ってる?」
「執着を捨てて本当は大切なものを残す作業だってことを。」
「で、あなたの本当に大切なものって何?」
「…。」
そう、追いかけてきた、発達障害、シックハウス、環境問題など
そのことに「執着」していた私がいて
それは、その時のネガティブな感情が
「正義」となって私を突き動かしていたに違いないかった
それでは今までの経験は何のために起こったのか?
それは私自身が様々な出来事にであい成長するために
まかれた「種」のようなもだったのかもしれない。
必要だと思っていた大きな衣をはがされてしまった。
本当の私は「ただ喜んで生きていたい」
とてもシンプルな言葉が見えてきた
ただ一言うならば、
真実を見つめ続けようということに対しては
いつも真摯であったよ
どこかでどんな小さなことでも
誰かの役に立つんじゃないかということを
いつも探していたよ
そして、心のポケットの中にはちゃんとしまってある
いつかそんな小物たちが使えたらいいなって思っている。
大切な小箱が心に仕舞ってあるから。
家族の思い出とともにね。