「もしもし弁護士の○○です

提示の条件で相手が同意しました。」

 

静かな空気が流れた…

 

数日前、

 

まるでバナナのたたき売りのように

こめかみに皺を寄せた裁判官と調停委員が迫ってきた

「じゃあ、この金額でどうでしょう?」

「いえ!」

「では、この金額では?」

早く畳みかけてお仕舞にしてしまいたいという空気感

そして、なぜか提示額がどんどん下がっていく…

 

馬鹿にしないでちょうだい!

とっさにそんな感情が口をついて

「嫌です!」と答えた。

 

すると裁判官は

「これで調停は不調です!次は裁判でお願いします」

お店のシャッターを下げるように

ピシャリと言い放った

 

同伴の弁護士と控室のベンチに戻ると

我に返った

「ああ、こんなのじゃなかった」

「もうやめようと思ったのに…」

 

この馬鹿らしい茶番劇をお仕舞にして

すべてまっさらのところから始めたかったのだ

 

いくら法的に正しいといえども

法律は暫定的に「ある基準」を設けたに過ぎない

こんな争いを解決するための…

 

私があきらめること

相手への要望を手放すことは

相手を自分から解放することであり

また、自分を解放することでもあると

 

そう思ったのだった

 

(一時の「諦め」がその後の瞬間から

自分の人生をのびやかに

いきいきとさせるとは知らずに!)

 

そして、不思議なことに

手に入れるものが少なくても

少なければ少ないほど

自分を信頼していけるのじゃないかという

自信が湧いてきたのだった

 

調停の翌日

私は裁判官が最後に提示した金額で

相手方に離婚協議を成立させるよう

自分の弁護士に申し出たのだ。

 

「相手方の同意」の一言で

 

体を覆っていた霜のような氷はとけ

 

感覚が巡ってくるのを感じた

 

空気が吸えること

光が見えること

身の回りにあるものすべてが

ありがたく

体がふんわりとした空気に包まれたよう

優しい気持ちが戻ってきた

 

さみしくもなく

不安でもなく

 

すべての人とつながれていくような

 

微細な感覚が戻ってきた。

 

人って

それ自体がエネルギー体であって

 

体はその入れ物で

 

時間も空間も超えたエネルギーが

 

結ばれたり離れたりしていて

 

同じ空間には存在できないエネルギーは

 

こうして離れていくんだって

 

よくわかってきた

 

わかれも

自然の大きな摂理の一つのカタチなんじゃないかって

 

思えてきた

 

「社会通念」って自然の摂理とは違うけどね

 

今 微細な空気を感じ生きている。

 

とても心地いい。

 

それでいいじゃん、と思った。