一昨日、昨日は雪がふり

肌を切るような冷たい風が吹き荒れていたのに

 

今日は

ふんわりと温か身を感じる空気

青く澄み渡った空

風のない穏やかな一日だった

 

私の心もふんわりかるい

 

「よかった。」

こころはこの空のように優しいブルー

 

あらゆるものを「もっている」と幻想を抱いていたのだと

 

そもそも「もっている」と思っていたものなど

何一つ「わたしのもの」などない

 

ただ私の前に一瞬通り過ぎて行った「風景」に過ぎない

 

自力ではなく、

 

ただ、おそらく、神の愛によって運ばれてきた「縁」によって

 

目の前に現れていたんだ。

 

 

水、空気、天象、大地、人、植物、動物、社会、文明…

 

それらのたくさんの「縁」によって。

 

 

目の前の一杯のコーヒー

 

ここに届くまで天地の恵み、天象の恵み、農園の人、集荷する人、バイヤーさん

輸送する人、港の人、加工する人、商品パックする人、品質管理する人、出荷する人

お店に並べる人、レジで精算しくれる人、私の部屋のやかんで湯を沸かし、

コーヒーミルで豆を挽いて渡り、ドリップして、コーヒーカップに注がれる。

 

どれだけたくさんの人の手を渡ってきたのだろう

それぞれの人の人生がここに注がれてきたのだろう

それだけたくさんのエネルギーがそそがれてきたんだろう

 

すべてのものにそれぞれのストーリーを載せ私のところにやってきた

 

それぞれの一つ一つに多くの人生が注がれている

 

そして、大地のエネルギーが形を変えてそこにある

 

一つのパンを心を込めて作り、売り、そのための店のしつらえをして

心を整え明日に備え目を閉じる。そんな毎日を送っているうちに

 

このパンのようにすべてのものにストーリーがあることにふときがついたのだ。

 

この社会の中にいること自体

何百人何千人の人の支えがあっていきている

 

地球の表面に張り付いた菌のような私たち「人」が

こうして生きているんだ

 

わたしはその小さな小さな一つのコネクターの「ひとつ」なんだけど

 

それぞれがちいさいけれどたいせつな「ひとつ」なんだと

 

そしたら、なにがなくとも、たとえ、あろうとも

 

働き自体が「わたし」そのものであり、

 

失いも減りもしない「存在そのもの」なんだとおもった

 

だから、

 

「よかった」

 

こころが青空になった。