少し前

昔なじみの人と

喫茶店である相談をした

 

家から出て

元夫とのいざこざにいて

どうして行こうか?と問いかけた

彼は元夫とも知り合いだった

 

2~3分私が話しすと

突然言葉を遮り

「君は最低だね、自分のことしか考えていない!」と

話しを聞きおわらにうちにこう言い放った

 

私は困り果ててどうしたらいいのかわからない,と

話をしていたつもりだったが…

 

彼から見れば「私の身勝手」に立腹していたのだった。                  

 

あれから2年、

 

自分勝手な私に気が付かない私であったことが

今になってようやくわかってくる

 

彼は元夫の気持ちが男としてわかったのだと思う

 

自分の権利ばかりを振りかざして

彼へのリスペクトは一切なかった、

 

そんな「ひどい女」だと、

彼が言っていることがおぼろげながらわかってきた

 

 

職場で責任ある立場としてやっていく大変さ

 

お金を稼ぐ大変さ

 

社会で「やっていく」大変さを身に染みて知っている人だったら

 

「甘い」の一言、

 

そうと決めて自分で踏みでたのだから

 

どこまでも辛いを耐えていく気概が必要だ、と

 

彼は言いたかったのかもしれない

 

努力をせずに虫のいい話をしている人に見えたのだと思う

 

 

そう。「甘かった」のだ。

 

しかし、「甘い」ことすら気が付かずに

 

いいまでの生活が一変して

その時は「大変だ」と思っていた…。

 

 

今は仕事場で、

 

責任者がピンと張った空気感を纏い

きびきびと動くその姿に、

社会で働くことの緊張感と

責務を果たす本気さを垣間見て首を垂れる

 

今の私だったら、もう少し元夫を見る目が違っていたかもしれない。

 

 

「知らない」とは残酷までも「わからない」ままなのだ

 

いま、いろんな経験をしているのは、

 

今までの「知らない」ことを知って

 

より社会や人を「知る」「理解する」貴重な体験をているのだと思った。

 

それをしたくて

私は家を飛び出て経験を積む自由を得たのだ

 

それは思ったより辛かった。

 

この辛さを味わいたくて

 

今、ここにるのじゃないかと時々思うのだった。