すべての「夢」がきえて

 

日常の生活だけがすべてになった

 

今まで勤めていた不動産屋さんも辞めた

 

同時にあと二つの務め先も

3月で先方の都合で勤務は終了の予定となった

 

4月からの予定は何もないそんな中突然パン屋さんに助っ人に入ることになった

 

狭い厨房に何人もの女性スタッフがひしめき合って

 

パン生地を捏ね、窯で焼き、

多くの発酵用の容器と鉄板と、パンを詰める袋と

喫茶部の食器にうずもれるようにして働いている

 

パン屋のレジの向こうには

きれいな服を着たエレガントな女性が

男性と仲良くパンを選んでいる

 

私も数年前にはそちら側の人だった

今は白い服に身を包み

白い帽子とマスクをして

彼らの注文に合わせてせわしく働く

 

数年前には感じたこともないことを

今経験している

 

心の奥で「見えていなかった自分」に

気が付いたことにほっとしている。

 

パンが出来上がるので多くの人が手をかけ

真剣な現場から物が出来上がる

 

スタッフ一同本気で向き合っている

 

だから美味しくて自慢ができるパンなのだ

 

あの頃、向こう側だった私は漠然とした世界に生きていた

何がわからないのかが、解らないことが不安だった

 

今こうして、一生懸命つくること

働くことの意味が解ってきた

 

そして家庭生活の自分のしてきた価値もようやくわかった

 

ある一人のために作った食事は

どんなシェフの作った料理もかなわない

その人への思いが込めらえている唯一のものだからだ。

 

自分はいつの間にか貨幣価値から自分の労働の価値を

考えるようになってしまっていたんだ

 

家事労働の意味も価値も評価していなかったのは

自分自身だったわけで、

だから寂しかったわけで、

自ら自分の価値を貶めてしまっていたんだね。

 

心を込めて作った食事

 

本当の価値は「そこに思いがあるか」で

 

貨幣価値ではなかったんだって、

ようやくわかった。

 

毎日、家族の顔、体調、季節を感じて

つくってきた食事

そういえば、だれも風邪なんてひかなかったね

 

あの頃の私は金メダルだったとおもうよ。