あの暑い夏がすぎていった

マンションから眺める風景は

次第に草花の青み深く

自然なりのかたちが整ってくる

 

そんな営みを見ていると

人も草花の種のように思えてくる

 

どの地面に蒔かれても

その種の持っている素質が

現れていくように…

たとえ

その草を刈り取られても

またそこから同じように茎を伸ばし

時間が経てば元のような姿を現していくように…

 

人も

その持っている素質によって

どの時点で刈り取られても

また

そのように再生していくのかもしれない。

 

この世は

その人の素質によって

その人の形なりに

出来上がってくるのかもしれない。

 

どんなにその身から刈り取られても

 

裸になるほど剥ぎ取られても

 

その人の持っているエネルギーが

時間とともに形に置き換わって

 

同じように再生していく。

 

だから運命は大きくは変わらないのだと思う。

 

むしろ、そのエネルギーに素直に従うほうが

 

いいのかもしれない。

 

こうだったらいいな

ああなりたい

こうであれねばなど思わず、

 

抗わず素直にそのままで居る

 

それは実は勇気がいることかもしれない。

 

周りの言葉

習慣

周りを気にする自分

 

それらを(心のなかで)振り切って

 

そのままの自分を観る

 

そのままの自分で居る

 

そのままの自分デイルコトヲ実行してみる

 

それは世の概念からして変人かもしれない

 

ただ、それが

その人にとって最もふさわしい生き方で

一番エネルギーの高い生き方なのかもしれない。

 

神がこの世に産み落とした、自分の姿は

 

このような自分なのかもしれないと、ふと思うのだ。