窓辺に子どもたちの七五三の写真が飾られている

ようやく涙なしに見られるようになった

 

愛くるしい姿

あどけない姿に

胸がキューンと苦しくなる日々が続いていたのだが

 

今は明るい可愛い子どもたちの姿に癒やされている

ママ、ひとりじゃないよ

ここにいるよと、元気づけてくれる

 

それでもひとり寂しくなって

じっと見つめていると

かつて、このときの自分の「頑張り」を思い出すのだ。

 

目の前の子どもしか視界に入らなかった

いつも行き止まりのような苦しさを感じていた

そして、とにかく目の前の事態に翻弄されていた

 

さらにじっと心の中を観察してみる…

 

離婚協議とともに家族がバラバラになったが

期待通りにならなかった家族のカタチに

「頑張った自分」の始末の仕方がわからず

 

じゃああれは何だったの?

今までの自分の苦労は?

 

「頑張ればきっと良くなる!」

 

と「頑張って」きた思いが彷徨っている。

 

でもね、

もう終わったんだよ。

 

頑張ってきたことがいいこと、いうわけではない。

 

盲滅法だったとはいえ、

愛を込め

心を込め

真摯に打ち込んできたからこそ

寂しさが募るのだけれど

 

やっぱり

もう終わったことなんだよ。

 

「頑張っている自分」が権威をかざして

 

周りを傷つけていることもあるからね。

 

誰も何も言えない苦しい空気を作り出してしまっていたかもしれないからね。

 

何より自分自身を孤独に追い込んでしまっていたのかもれない。

 

でも、自分を責ることはない

 

 

 

苦しさを覚え乗り越え、振り返ることができたから

その苦しさの正体を見たから、

 

おめでとう。

 

そうならざるを得ない環境にいたのだから

 

これからは

「頑張らずに」自然に愛せるように。

 

そう、なっていけますように。