声とマヤカシ
まやかし、あやかし、いろいろございますが。。
聞こえてくる声は、、
マインドの声なのか、心の声なのか??
導きの声なのか、直感や閃きの声なのか???
普段から、感覚に自然と乗って、行動する癖があればいいのですが、、
そうじゃないなら、声や思いつきが何物由来なのか不明なままです。
言葉と作文に慣れると、
言葉を使った理解できる内容の声だと、もっともに思ってしまいます。
もっともなことがいいとは限らない。
自分カンカン感覚と一緒に生きていて思考しなくなって直感生活だけをしていれば、
このような疑惑もなくなります。
言葉の声だから悪いとは限らない。
どこからの声なのかが肝心です。
いい感じの声だからいいとは限らない、
妖やまやかしは、甘くて美味しい言葉を使います。
厳しくて説教っぽい声だから正しいとも限りません。
直感感覚で生きてないうちは、言葉を使った声の言うことは聞かない方が無難です、
けど、
直感の声を聞けるようになりたければ、
やってみないと始まらない。
直感は、言葉を使って聞こえてくる場合もたくさんあります。
聞こえてくる声に、
乗ったり、寄り添ったり、聞こえた通りにしてうまくいったり、失敗する体験も必要です。
失敗することで、後味悪い思いすることで、
声の聞き分けの練習になるからです。
ここで、
*万事塞翁が馬!
結果が悪いから、失敗とは限りません!
思い通りに行かなかったと言う苦い思いの失敗感の中から見えるものは狭く、批判的で、自虐的です。
結果がいいからではなくて、
自分の中から、感じたり、呼応したり、感応したりしてるかどうか、、
「そういうこともあるんだな〜〜」って、経験として受け止められるかどうか。。
ダメなものはダメ、嫌なものは嫌、嫌いなものは嫌い、でよい良い。ので、
声の通りにして、どうなってくかを、素直にみればいい。
見かけに騙される、とよく言いますが、
声にも見掛けがあるんです。
一見聞こえがいい声だが(見掛けがいい、聞こえがいい)、、
実は騙しの声、自分の直感の声じゃなくて、どこかのまやかし、あやかしの思考の声ってこともあるのです。
言われたことに従ってやりなさい教育を受けた人には、
直感にのるのは練習するしかないです。
最初は下手だからうまく行かなくて、結局
もっともなことを言う新興宗教や
大きな声や、今まで従ってきた教育経験の通りにする古い道に戻ってしまうんですね。
ちょっと新しい冒険してみたら、怖い思いした!失敗した!と、怖気付いちゃうんです、
けど、体験し続けて、だんだんいい思いするようになってきたら、
失敗した過去なんて、もう思い出しもしないんですよ、そう言うもんです。
歩き始めに何度も転んだからって、歩けるようになってから、
よちよち歩きで転んでばかりだったこと転んで痛かったこといちいち思い出さないんですよ!そういうもんです。
そうでないなら、まだ転ぶ練習中ってことです!歩けるようになる練習中!!とも言えます。
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自分に聞こえる声って、どんなの?
直感の感覚って??
体験し続けるのみです!