【きのう、きょう、あすへと移ろいゆく心とともに】
私は小さい頃から流されやすい性格である。
学校や習い事の「箱」が求めていることに全力を注ぐ
またその箱の中にいる「人」
厳密に言えば、先生や、友達、先輩、後輩が「求めていそうなこと」に合わせていく
「箱」や「人」に合わせること、
ある意味では「従事すること」
で自分の価値を高め、存在意義を見出していた。
そうして蓋をあけてみれば
属する「箱」や周りの「人」が変われば
自分も変わっていた——
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そんな自分がいやになったのは大学時代。
気づいたのだ。
環境によってこうも自分が大事にしていること、性格までもが変わってしまうのだと。
「空っぽ」な自分がいやだった。
それで、大学時代は歯向かうように
自分が”やりたい”ことをやることにした
留学、ボランティア、休学、、
でもどうだろう
今まで自分で決めてこなかったから、
自分の意思で決めて、進めることに慣れていない
だからやることも支離滅裂
やることは一発屋なことばかり
次に繋がらないのだ
そうやって
やってみては変えて、やってみては変えて
を繰り返して今日を迎えた
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今日も例の如く
やってみては変えて、の【後】であり、
新たな出来事を迎え入れる【前】
の狭間でなんとも不安定な足場の上に立っている
思い切って変えるぞ!
と思うときはいい
変えることへの不安要素を一つ一つ吟味し
希望に変換できたからだ
しかしいざ変えた後では
また新たな不安がででくる
うまくいくかしら、、
まただめな自分が顔を出しそうになる
いっそう、やる気をなくしてみようか
とさえ思えてくる
でも、いま目の前に
新たな世界が広がろうとしていることだけは事実
踏み出して負けたとしても
世界は必ず広がる
そう奮い立たせて
というよりか言い聞かせて
きのう、きょう、あすへと移ろいゆく心とともに
3歩進んで2歩下がる
くらいでやっていこうと思う
3月13日のきょうである——
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最後までお読みいただき
ありがとうございました
よき一日となりますように