従姉妹との関係は益々悪くなるばかりだが、2人共、その事については誰にも触れなかった。だから親戚、親達は、一切険悪な事は今も知らない。
このまま一生関わらなくても、私は良かったし、関わって欲しくもなかったのだ。

私はというと、系列大学にも関わらず、同じ学科への推薦は違う子に取られてしまい、実力差をまじまじと感じさせられ、ことごとく他の大学も不合格となり、親や、担任が反対する中、一般で自分の系列大学を受け、運良くかろうじて引っかかって合格出来、晴れて大学生となるのだ。

ダンナともその大学で出会い、順風満帆にみえた人生に阪神大震災を経験するのである。大学の中でも数名が亡くなり、通っていた駅は高架が落下し、2時間遅れていれば、私の命は無かったのだと思うと、運が良かっただけでは言いきれない思いが湧き出てくる。その時から電車に長く乗る事が苦しくなり始めていた。そして、卒業を1年後にひかえた3年の冬から就職活動を始めた。

思えば、従姉妹が高校卒業から大学に行くにあたって、親戚がすすめても短大には行かず、4年制の大学を希望したのは、単に私が4年制に行ったからだと、後になって聞かされた。私は専門的な学校に行ったのに対し、彼女は普通の国文科だった為、就職するには4年制は不利だと皆んなが説得しても聞かなかったそうだ。

そして、私4年になると、本格的に就職活動が始まり、運良く学校推薦を経て、自分の行きたいメーカーへと就職出来る事となる。そして、仕事を2年で辞め、現在は私が結婚して21年。

結婚して3年程したある日、従姉妹が祖母と叔母の前から姿を消した。その頃は私の実家の近くにマンションを購入して祖母と叔母と従姉妹とで住んでいたし、確か従姉妹は働いていたが、直ぐに辞めたと聞かされていた。関わりたくない従姉妹だが、そうもいかなくてなってしまったのだ。