1度目の入院は、救急車を呼ぶ事を躊躇する場合では無かったのだ。ただ、ダンナが私の状態を説明している声が聞こえた。

妊娠して3ヶ月で、水分ですら受け付けません。
止まる事の無い吐き気で眠れてません。

私なら多分伝える内容なんてまとめて話す事は出来ないし、あれも、これも言わないと、とパニックになるなーとダンナの存在の大きさを実感していた。まあ、その時は動けないただの干からびた人。夏だったので、特に水分も直ぐに吐いてしまうからほぼ脱水症状のまま、総合病院へ運ばれた。

病院に着くと、まず内診超音波で赤ちゃんの心拍を確認。この時期、親は飲まず食わずでも赤ちゃんは育つのだ。後で助産師さんに教えてもらう。私は脱水症状と吐き気を緩和する点滴をしてもらい、病室へと移動したのだ。
その時、まだ妊娠3ヶ月だったので、入院の準備はしてなかったから、適当に、ダンナにお願いして色々用事してもらう。水分も無事身体に入り始め、吐き気は止まらないが眠れないので、眠剤を処方してもらい、24時間の点滴の管が邪魔だと思いながら、眠りにつく。
産婦人科病棟なので、一晩中バタバタ廊下は音がしていたが、10日もすると、ムカムカは止まらないが、点滴生活を病室で過ごし少し食事が出来るようになってきた。順調に食道の炎症も収まり、助産師さんからも、つわりは絶対に終わりが来ると励まされ14日目の朝に主治医から点滴から薬へと移行すると言われ、早く退院したい私は、点滴が取れたら退院出来る事を主治医に聞くと、ダンナに次の日に退院したいと言い張り、もう少し病院にいた方が良いと言われるが、仕事が終わり次第迎えにきてもらう事にし、晴れやかな気持ちで、眠りにつくのだ。朝から点滴をやめ、薬に移行。ムカつきはあったが、それは点滴をしていた時と一緒だったので、薬になっても流石に重度妊娠悪阻は治らないのだと半ばあきらめながら、でも退院出来る事に喜びを感じながらダンナが迎えにくるのを待つのである。

その当時は聞く耳を持たなかったが、本当に薬に変えて、食事も出来、睡眠も取れるようになるのか、2、3日様子を見てから退院すれば良かったのだ。案の定、退院の朝、吐き気が酷く、車で自宅に戻ってからは入院前と同じ状態になりつつあった。なるべく食道に炎症を起こさないようにしていたが、退院して1日にして、食事も水分も受け付けず、精神的にも疲れ、情けない状態に逆戻りするのである。そして、取り敢えず点滴だけしてもらう為に次の日に病院に行くが、即入院を言われる事になるのである。