湯田は山口県と言っても相当、ホント相当 山奥にある温泉郷です。限りなく広島寄りですね。
足湯で有名(地味?違ってたらごめんなさい)な町で幾つもの旅館や民宿があったと思います。
そんな町に当時、全国を旅してた僕は山口県は下関でフグを食べその帰りにやってきます。
そう、悲劇はその町で起きたのです・・・。
当時から、僕はお酒が大好きでその土地の地酒が飲みたく、一緒に旅に付いて来た仲間2人と居酒屋に入ることにしました。
その居酒屋はあまり綺麗とは言えませんが、若い人たちが沢山いました。
僕は人見知りをしない性格なので直ぐに回りの人たちと打ち解ける事が出来、いつしか、会場は早飲み大会になっていました。
どれくらい勝負したのだろう?僕はかなりベロンベロンになってしまいました・・・
何人と対決したのでろうか?・・・記憶ではゴリラと飲んでいた(そんな訳ない)のでかなり酔っていたと思います。
そして僕は負けてしまいました・・・(泣)
一緒に付いて来た仲間も慰めてくれ・・・戦いを敗れた僕の肩にそっと・・・・
って仲間もベロンベロンで誰もいませんでした。
しかも!無人のテーブルには食べれもしないのに数々の料理が並び、まるで竜宮城のようでした(マジで)
僕は食べ残しが大キライです!食べれもしないのにドンドン注文して、食べずに捨てるのは本気で怒ります。
僕は本気で怒りました!
しかし、会計の時に発覚したのですが、先の飲み比べ勝負でかなり飲んでいた僕の方が、料理の料金とは比べ物にならないくらい多かったのです!?
さすがにこれには仲間も激怒!険悪なムードが漂いました・・・。
残さず飲んだが飲みすぎの僕、食べられないのに酔った勢いで注文を繰り返した仲間・・どっちがだめなんでしょうか?
・・・どっちもですね。
二人は口論になり、僕はお金を投げつけ店を飛び出しました!!
そうその日は記録的な大雪の吹雪の夜だったのです!
ベロンベロンで真っ直ぐ歩く事さえ出来ない僕。
このままでは確実に冷たい肉の塊になってしまう。
生き残りたい一心で僕は近くのコンビニ"ポプリ"に逃げ込んで暖を取ることにしました。
しかし・・・そこは悲しいほど田舎。コンビ二”ポプリ”は10時をもって閉店。
店の親父により、真冬なのに”蛍の光”とともに1メートル先も見えない吹雪の中に再び放り出された僕。
またもや冷たい肉の塊になってしまう・・・。
今にして思えば、寒さで頭がおかしくなっていたのでしょう・・・。
僕はふと町の地図を見つけました!
そこには、確かに刑務所の場所がはっきりと書かれていました。
刑務所なら入れてくれるかも!?(確かそこはかの有名な山口刑務所でした)
一縷の望みを胸に僕は歩き出しました。
猛吹雪の中、1時間~2時間位、歩き続けやっと刑務所に到着!
(実際はそんな距離では無かったかも知れませんが、吹雪のせいで前は見えない、歩きづらい、土地勘が無く迷ってしまった為だと思います)
ドンドン!!
「入れてくださーい!」
「おーい」 (怪しいですよね)
誰も返事なし!
寒い!本当にやばい
実はこの刑務所に着くまでに仲間から、何度と無く携帯で呼び出されましたが意固地になり、合流を拒否!
刑務所に着いた頃にはやけになってました。
「おーい!誰かいませんか?」
シーン・・・
このままではやばい・・・
そのとき僕はある事を思い出しました。
「っあ!そうだ!!確か地図には教会も載っていた」
馬鹿ですね・・・速攻で刑務所を諦めた僕は教会を目指すことを決意!
確か名前はザビエル寺院だったと思います。
かくして僕は、目的地をザビエル寺院に変更することにいたしました。
教会なら入れてくれるだろうと、根拠の無い自信が僕を前に進めてくれます。
まるでパトラッシュのいないフランダースの犬のように吹雪の中、ひたすら教会を目指して進む僕・・・。
結果、知らない町なので当然のように迷いました。
そもそも、2時間以上前に見た町の地図を覚えている訳がありません。
(ただでさえ方向オンチなのに全国旅してる神経がおかしい)
あても無くさまよった挙句、僕はたまたま見つけた、駅の待合室に入りました。
今夜はここで寝よう・・・
風はビュンビュン入ってくるが、雪が入ってこないのがせめてもの救い。
一日の疲れもあり、僕はそこで眠ってしまいました・・・。
皆さんも知っての通り、雪山などで寝るのはとっても危険です!
でも、本当にすっと眠れます。
何度も目が覚めながら時間は過ぎ、ふと仲間からの携帯で気づいたときは朝になっていました。
目が覚めた時には雪はすでに止んでましたが、ものすごい積雪だったのを覚えています。
寒くて寒くて、そのときは前日の怒りも収まっていました。
”まぁ、謝って合流しよ”
そう心の中で決め、仲間からのうるさく鳴る携帯を取りました。
しかし、謝ろうと電話をとったのですが、その電話は喧嘩した相手では無く、もう一人の仲間からでした。
喧嘩した相手は、どうやら僕とは喋りたく無いと言っていました。
そんな事を言われて仲良く合流できるほど当時(今も?)は、大人ではありません!
「誰が合流するか! 一人で帰る!!」
意地っ張りな自分が出てしまいました・・・・トホホ
お金も無いのに帰れるはずがありません。
直ぐにその事に気づいたのですが、言ってしまった物は仕方ありません。
今さら謝るのもしゃくです。
”よーし、帰ってやろうやないか!”
心の中で硬く決意したのを覚えています。
そうと決まれば行動あるのみ!!
まずは自分の持ち物をチェック
■小銭しか入っていない財布(600円ほど)
■携帯電話
出てきたのはこれだけ。
荷物は全て仲間の車に入れて移動していたので当然といえば当然ですね。
ちなみにその日は1月の3日。
(何やってるんだか新年早々・・・情けない)
今は無くなりましたが当時この時期は、銀行のATMは使えませんでした。
まぁ実際、貧乏学生をしておりましたので、貯金なんてほとんど無かったのですが・・・。
そして・・・つい先ほど合流はしないと言ったものの、さすがにこの寒さはまずいと思い、やっぱり合流することにしました。
(情けない・・)
男らしくないすよね?
いえいえ、そんな事無いですよ。
あくまで荷物を受け取りに行っただけですから!
これから1人で帰るのに必要な荷物を取りに行っただけですから!!
合流はしたけど1人で帰る意志は変えておりません。
そして合流後、引き止める(と、思う)仲間を振り切り、旅行用バックを手に再び歩き出しました。
その時、前日居酒屋で投げつけたお札を、割り勘分差し引いて仲間が返してくれましたが、僕は断固として受け取りませんでした!!
「一度出したお金を受け取れるか!!」
だって男だもん、あげたものは受け取れません。
しかし、駅で調べたのですが名古屋まででも、切符代だけで2万以上します。
全く足りません・・・。
どうしよう・・・、仕方ない!行ける所(捕まる)まで行こう
たとえ世間からそれが無賃乗車だと言われても!
そう、これは犯罪です。皆さん絶対に真似してはいけません。
500円分の切符を買い、いざ出発です!!
このとき既に、僕の頭の中は仲間にお金を借りるとか、警察に借りるとかそういった類の事はありませんでした。
頭の中はただ安全に帰れるからというだけで、ここから自宅まで険悪な雰囲気を我慢するのは嫌という考えしかありませんでした。
500円分の切符を手に、僕は電車に乗り込みました。
ローカル線で1時間に1本もしくは2本程しか走っていなかったと思います。
その線では広島駅まで行くことが出来ました。
みなさん広島駅って行った事あります?僕もこのとき初めて訪れたのですが、想像してた以上に広くて複雑なんですよ。
しかも僕は先天的な方向音痴、野生動物なら間違いなく死んでいるレベルです。
ここでも当たり前のように迷子になってしまいました・・・。
電光掲示板には知らない駅名ばかり表示してあるので、あても無くたださ迷い続け・・どれに乗れば帰れるのか全く見当もつきませんでした。
散々、迷った挙句、何とか神戸行きの電車を見つけ、そこに乗り込む事に・・・。(駅員に聞け!)
その時、たまたま席の前に乗っていたカップルが何かの旅行の帰りらしく旅のガイドブックを見ていちゃついておりました。
”は~のん気なもんだな、こっちはいつ駅員が切符を拝見に来るかとヒヤヒヤしてるのに・・”
実際、そのカップルは相当仲が良く、かなり楽しげに話していました・・。
その時、ある一言が僕の耳に飛び込んできました・・・。
カップル女「ね~、今日は何時くらいに家に着くかな?」
カップル男「・・・彦根駅に10時過ぎくらいだから・・・・」
ん?彦根駅?彦根って滋賀県の彦根だよね?・・・たしか岐阜の隣・・・!!
そう、思った瞬間でした!僕はそのいちゃついたカップルに向かって
「僕も彦根駅に連れてってください!」
そう声を掛けていました!恥もへったくれも無くいきなりです。
最初、見ず知らずの男が声を掛けてきたことに、当然カップルは驚いていましたが、僕が全国を旅している&方向音痴&岐阜に向かっている事を話すと快く教えてくれました。
本当にこの人たちに会えなければ、どうなっていたか・・・。
どの駅で乗り換えて、時間はどのくらいかかるのか、事細かく教えてくれた彼らですが、途中その恩人とは離れ離れになる事に。
というのも、彼ら恩人は途中、ホームライナーのような乗車整理券を買うことで乗れる特別特急に乗って、先に行ってしまったのです。
たしか、神戸か岡山駅からだっと思いますがそこからは殆ど無人駅しかない線があり、途中何度も乗り換えなくてはならないため、殆どの人が整理券を買い、一気に行くそうです。
しかし、僕はお金を持っていませんでした・・・。
乗車整理券?そんなお金があったら温かいジュースとパンが欲しい。
朝から何も食べず、何も飲まずの僕は限界を何時間も前に越え、めまいを覚えながら必死にメモした紙を見て、電車を乗り換えていました。
先ほど、記入しなかったのですが実は、最初のローカル線で広島駅に向かう途中、なんと電車内で切符の拝見に合っていました。
そのせいもあり、切符拝見の恐怖から僕は、メモ紙に一つ一つ無人駅の名前を書き記し、駅員が来たときに備え、そこから乗ったと言い張れるようにしていました。
(賢いのか?はっきり言ってセコイ)
電車内ではたまに車両と車両の間に身を隠し、駅員の動きをチェック。
それ以外の時間は常にトイレに隠れていました。
旅なのに外の景色を見る余裕も無く、ただ電車の乗換えとともに、トイレから別の電車のトイレに移るという悲しすぎる旅・・。
ゴキブリのような気持ちでトイレ(電車だけど)に揺られながら、何とか米原駅まで着くことが出来ました!
本当にトイレに感謝・・・もといあのカップルに感謝です。
しかし、本日の移動もココまで。最終便に乗った為、それ以上先に進む事が出来ないのです。
どうしよう?駅から出たくてもお金が無い・・・。
切符代いくらだろう?怖すぎる・・・・。
人間って何で動くんだろう?そう!まさに恐怖も大きな要因の1つです!!
僕は、米原駅でフェンスを越え、外に飛び出したのです! (犯罪です!!)
そうそこは、前日と同じように記録的な吹雪の夜だったのです!
仲間と別れて2日目の夜、またもや猛吹雪の中、一人ぼっち・・・。
1日目と違い、両手に大きな荷物を持った僕は、当ても無くバス停のベンチに座っていました。
明日の事を考えると、どうしても電車に乗らないといけないため、駅から離れられずにいたのです。
近くには特に何も無く、どうしたものか?と考えていました。
前日に猛烈に身体に叩き込まれた”無駄に動くと死んじゃうかもよ”という教訓が生かされ、きちんと実現可能な計画を立ててから行動しようと決めました。
幸いな事に、少し遠いのですがコンビニらしき光を見付けました。
この時間までやっているという事は(最終電車が12時過ぎなので)、あのコンビにはおそらく24時間営業だという事が分かります。
直ぐに行って暖を取り、朝までいてやろうといやらしい考えがまとまり、僕は歩き出しました。
しかし荷物が重い・・・・
雪が振り続けているため、旅行用バックが水分を含み重くなり、さらに手がかじかみ余計と重く感じました・・・
本当に辛かったですね~
足場も悪いですし、フラフラと歩いておりました。
そんな辛い状況の中、ふと見ると暖かそうな光が公園から見えるではありませんか!!
バチバチと何かを燃やしている音も聞こえます。
しかし、僕はそれが誰が何をしているのか直ぐに気づきました。
それはまさしく、ダンボールやビニールで家を作る職人の方々(ホーム○スともいう)が寒さを凌ぐため、火を焚いていたのです!
皆さんなら、この場合どのような行動に出ますか?
1:見てみぬフリをしてその場を立ち去る
2:暖を取るため近づく
3:寝こみを襲う (社会問題になるので止めましょう)
一般の方なら迷わず1を選ぶでしょう・・・
しかし、僕は2を選びました。
その理由は”とにかく暖かそう”だから・・・。
いや、人見知りしない性格なんですよ、なんか面白そうじゃないですか。何か起こりそうな予感がしたら、迷わず突っ込むのも、たまにはいいですよね。
「すいませ~ん。僕も火に当たってもいいっスか?」
軽い感じで声を掛け、僕はその団体に入っていきました。
大体人数は10名位だったと思います。
みんな立派な髭やビンテージ風の服を来ていたので、キャラがかぶってしまいよく覚えていません(失礼すぎるだろ!!)
いきなり現れた僕に職人の方々は皆、快く受け入れてくれ僕も何故かテンションが上がり、夜通しくだらない話で盛り上がり朝を迎えました。
本当に仲良くしていただき、朝まで寒さを忘れて話したあの経験は、今でもいい思い出です。
実際、ホントに実際話した内容は、くだらない話すぎて忘れてしまいましたが、楽しかった事だけは覚えています。
朝を向かえ、携帯の充電は切れていて時間を知る事が出来ませんでしたが、大体始発は走っているだろうと考え、僕は職人の方々と別れを告げ、駅に向かいました。
お金はありませんでしたが、米原からの切符の最低料金140円は現地で調達しました。
(手段は・・・自動販売機の下の空間に・・・)
その切符で地元の駅に帰りました。
当時まだ学生でしたので、地元の駅は定期で出る事が出来ました。
実際、この旅の前半は下関でフグを食べたりと、楽しいものでしたが後半は、二度と味わいたくないほどクタクタになりその日は、自宅で丸々1日死んだように寝ていました・・・。
後から知ったのですが、仲間と分かれて2日目、当の本人たちは広島でお好み焼きを食べながら過ごしていました。
僕がお金が無いのを知っているので、広島辺りで根を上げて合流する事になるだろうと考えていたからだそうです。
夜になりさすがに不安になったのか何度も電話をしたそうですが、電源が入っておらず、どうしていいものか分からず3日目も広島に・・・。
4日目はさすがに諦めて帰ってきたそうですが・・・ そのときはもう僕は自宅で寝ていました。
全く無駄な時間を彼らは過ごした事になります。
今思えばざまーみろです。
おわり