最近、前にも増して
エイブラハムの対話動画見るのが楽しい。
暇あれば見てる。

今記憶に残ってるのは、

「私たちは他人の目を通して自分を見ることで自分を知る。だから、他人からどう思われてるかに意識を向けてしまう。それを考えてしまって混乱してしまいがち。他人がどう思うかを考える必要はない。」

何度も聞いてるけど
改めて仕組みを認識した感じ。

他人は自分を知る為に存在してくれてる。
自分を知るとは、自分が自分のことをどう思ってるのか、どういう存在だと思ってるのか。
もちろんどんな好みがあって、何が嫌いで
どんなことに快を感じて、不快を感じるのかも。

大事なのは他人や出来事を通して
「自分が」どう感じたのか、だけ。





起きることも他人も
現実は振り回されるものじゃなく
自分の願いや望みを知る、好みを知る、
不要な信念や思い込みを知るのに使うもの。

望みや願いを知って打ち上げる
ボルテックスに入れる(ステップ1、2)は
コントラストを感じた時点で完了してる。

私達がすることは
ステップ3の受け取り許可だけだ。
受け取りモードでいることだけだ。




さちまるちゃんの配信から習慣にしてること。

毎朝鏡に映る私へ。

「おはよう。今日も1日よろしくね。今日も沢山の喜びの種を見つけようね。今日も沢山の豊かさ幸せ喜びを受け取ろうね。」




現実は既に創造を終えた過去のもの、
その残響。

自分が幸せでないことを
その残響のせいにして被害者でいる限り
それは創造され続ける。

気付いてくれ~!って
本当の私があらゆる方法で伝えてくれる。

私達は被害者ではない。
いつだって幸せを選べる。
どんな状況であろうと幸せを選べる。

ただ今までの積み重ねで
現実とくっついた感情に飲まれてると
コロッとひっくり返すのは難しいかもしれない。それは仕方ない。

そんな時は
静かにその感情に寄り添い、
静まってきたらまた
幸せな自分を選択すればいいよね。




朝ドラ「なつぞら」で、
子なっちゃんは怒りを出し始めた。
今まで感じてなかったのに。
それは自分の安心の居場所を見つけたから。
前は自分さえ我慢すればいいと
感情を押さえ付けてたら
感情が死んでしまってた。
理不尽に感じても
怒りを感じなくなってたのが、出てきた。

怒りを感じることも幸せな事なんやなぁと
新鮮な気持ちになった。


そのタイミングで読んだLICAサンブログから。

「「当たり前基準」下げたら、
パートナーや、家族や、仕事関係の人や、
人間関係全般でも、スムーズになるし、
調和できるし、むかつかないよ〜笑!まあ、これは、自分がありのままを生き始めたら、表現し始めたら、勝手に下がっていくけどね。。笑!だって、相手に求めなくなるから。自分が我慢したり、自分に対するハードル高い人は、相手への当たり前基準も高いと思う。そんな人は人間関係がしんどかったりする。」

これほんとそうだなぁと思った。
外側に対して感じることは
全部自分を知るための貴重な情報だ。

イライラしたりバカにしたり、
それらも全部自分が自分に対して
思ってることだ。

それら外側は
自分を知って幸せにする為に使うものだ。

そしたらほんと
外側のものと自分を比較して自己否定して
苦しくなったり優越感感じたりする事の
しょうもなさを感じるなぁ。


今日は他人からどう思われてるかが、
普段よりだいぶ気にならない。
どうでも良くなってる、嬉しいな☆


私がどう感じるか、
自分を沢山知って沢山喜び見つけて
沢山豊かさ幸せ喜びを受け取ることが
楽しみだ♪

私はどんな状況でもどんな私でも
勝手に幸せで在れる。

改めて力強く再設定!

だから、私が幸せになる為に
他人の称賛や評価、他人との比較、被害者、
可哀想な人を必要としない。

決めた!設定!




meg.サンブログから。
「期待と書いてウキワクと読む」、から。

親の期待は親のウキワク。
誰かの期待は誰かのウキワク。
自分以外のウキワクは
自分はウキワクしなかったりする。

他人のウキワクは他人のウキワクでしかない。

のに、他人のウキワクを叶えること優先してたら、自分のウキワクがわからなくなってくる。

自分のウキワクは自分が叶えてあげる。