いまのきもち
最近眠れない夜が続くものですから
本を手に取ることにしました。
なので今回はちょっとした感想ってか思ったことを
つらつら書いていきます。
今日、『君たちはどう生きるか』
という本を読んだ。
多分中学生くらいにこの本を貰った。
その時、確か最初のほうを読んで、よくわからなくなって途中で諦めた。
なので改めて読んでみた。
読み終わってまず、
中学3年間、外の社会との接点をネット以外全て断って生きていたあの時
この本を途中で諦めたのも無理は無いな。と感じた。
全て、高校に入ってから、浪人してから知ったことが書かれていたからだ。
だから、高校に入ってから、私は急に色んなものに飲まれてきたんだな。
と思った。
中学の時の友達はいるけど
高校の時のようにずっと一緒に過ごしたりはしなかった。
2年生の時から私の成績表は真っ白だったしね(笑)
成績が付けられない位、私は学校に行ってなかった。
久しぶりに学校行ったら、仲良しだったグループが分裂してたりしてた。
正直あの時不思議でたまらなかった。
でも高校に入って、『あぁ。』って思った。
そこで初めて人間関係の難しさを知った。
学校に行ってないものだから
何かの組織に入ったりして、行動する事がほとんど無い。
だから、そこから生じる責任とか考えについて向き合うことは無かった。
そこで初めて自分や自分の気持ち、周りの事を考えるようになった。
浪人してから現代文とか小論文の課題文に多く触れるようになって
そこから社会だとか経済だとか倫理だとか
ちょっとむつかしい事について考えるようになった
そこで初めて『社会』について考えるようになってきた。
この『君たちはどう生きるか』という本には
中学生のコペル君という人物が登場する。
このコペル君が体験してきたこと、考えたものは
私が高校生になって、そして浪人してから考えてきたものだ。
普通は、中学の時からだんだん考えたり経験したりするものなのだろう。
でも私はその中学時代をネットと睡眠に費やしてきたものだから
高校1年の時の私は、精神は小学生だったのだと思う。
そこから急に色んな情報が入ってきて
知らず知らずと、処理が困難になって、疲れが出てきたのかなって
今、机に向かって勉強するのに
小一時間頭の中から出てくるマイナス思考や苛々を押さえつけてる自分になって思った。
正直ねー
今もう慶應とかそういう学歴とかどうでも良くなってきちゃってるんだよねー
なんか体とか精神ぶっ壊してまで学歴にしがみ付いてるのが
馬鹿馬鹿しく思えてきて。
大学とかただの通過点だし
そこから先が肝心なのであって。
そりゃあ、学歴はあったほうがいいと思うよ。
でも私は『勉強が出来る』より『人として出来る』になりたいんだよねぇ……
それを考えたら『あれ?慶應とかじゃなくてもよくね?』って
思うようになっちゃったのね。
別にどこか偏差値の低いところに入ろうと
どこも受からなくて専門に行ってしまったとしても
もしかしたら働くってことになっても
浪人して得たものは勉強だけじゃないし
自分のパターンっていうか、悪いところとか見えてきたし
なんか人生という視点から考えたら
得たものはでかいよなー
って思って。
学歴あっても人間的にあかん人と学歴なくても人間的にええ人だったら
私は後者になりたいなーって思って。
これは少し前から考えてきてたことなんだけど
今回読んだ本が私の中に確立させてくれたといいますか。
“君は毎日の生活に必要な品物ということをから考えると、消費してばかりいて、なにも生産していない。でも自分では気付かないうちに他の点で、日々生み出しているものがある。それは人間であるからには一生のうちに見つけなければならないものであり、それは何か?”
っていう感じの投げかけがこの本にあるんだけど
コペル君はそれに
“自分は、確かに今何か生産しようと思っても、何も生産することは出来ない。でもいい人間になることは出来る。自分がいい人間になって、いい人間を世の中に生み出すことが出来る。そしてそのつもりになれば、これ以上のものを生み出せる人間にだってなれると思う。”
ていう答えをだして。
うーん、これは本を読まないと分かりずらいかもしれない。
なんかごちゃごちゃしてきたね(笑)
まぁつまりは
いろーんな経験やら考えを通した結果
『もう今は、ぼちぼち無理せずがんばろー』
ってなりましたとさ。
終わり(笑)
君たちはどう生きるか
吉野源三郎
岩波文庫
