最近の身体の動き 9年目 とふと書き記しておきたいこと
2月に公園を歩くワタシ。今日は関東地域、みぞれを含む雨。調子は良くて新宿でライブをみたあと新宿の駅ビルの中で夕食。狭い席で満席のテーブル。以前ならお店に入って歩くことも上着を脱ぐこともままならなかったかもしれない。お酒も久々に飲み、美味しいお食事を食べ友達と3時間強デザートまで楽しみました!こんな普通の日が月に一回でもおくれたら、それでじゅうぶんな幸せ先日、お付き合いしていた人とは結局お別れしました。割り切っていたとはいえ持病持ちのワタシに先がみえない恋愛は結局負担。でも、いつ介護に先に早くなるやもしれない自分を隠して全く新たな出会いを求めるのもなんだかしんどい、今。またリスタート目的や目的地がわからずとも何か楽しいことやワクワクすることを自分なりに探していかなきゃです。グダグダ悩みがちだけれども、根がボジティブなのは私の強みだからそして、何も言わなければ幸せそうにみえるんです、なぜかいつも。毎日のお金に困らないのは両親のおかげで本当に感謝。父方の親族は元気な人が働く。そして、病気の親族を支える。という何か暗黙の了解でもあるように、思います。私は幼い頃から病気がちで何度ももう駄目かなと思う気持ちから這い上がってきました。20歳のころ、病気で入院し卒業が1年遅れその時の治療方針は一生治らなくて、薬も一生飲み続けなければならない、と診断されました。しかし10年薬を飲み続け、薬はやめました。やめれました。治りました。その病気じゃなかったの??でも、今調べるとその当時の同じ病気は寛解可能性有りの病気に変わっていました。適切な治療をすれば四分の三は寛解すると。医学も医療も変わる。当時の治療が良かったのか誤診だったのか知るすべはもうありません。でも、私は当時あまりにも希望が持てなくてつらくてひとりで気持ちを抱え込んで深く眠ることにしました。もう次の日起きなくてもいいように、遺書も書いて薬をたくさん飲んで寝ました。そういうときって、誰にも言わずに両親にも普通におやすみって挨拶して眠りにつくものです。実は。本当に次の日がいらないときって周りには言わないし悟られない。死にたい死にたい生きていたくないと言葉に出せるうちは書き込めるうちは本当は生きたい、生きていたい、んです。だから、周りの声に出せない声のほうが危険です。誰かが、それでも貴方が必要なんだよ、って貴方は大切な存在なんだよ、って理屈抜きで言ってあげれたら良いのに、それでとどまれるのにって思います。シビアな話、このパーキンソン病という病気はドパミンが少なくなるためアパシーというすべてにやる気がでない症状がでてきたり不安で仕方がないというケースが出てきたりします。病気の症状なんです。私は直接の知り合いではなくても、この病気を苦にして生きていたくなくなってしまう人がいることがあることを知っています。長くSNSをやっていると見知らぬ誰かの同病の方が選んでしまうことがあるのをみて読んできました。色々思うことがあって今日はそんなことを書いてみました楽しい一日が今日は過ごせたからまた明日も頑張れます