大相撲を10年半、ちゃんこ屋を苦節13年の

元力士の観点から大相撲を語ります!

第十九回は「貴乃花」
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過去の横綱の中で、力士の間で「最強説」が

揺るぎない力士です。

若貴フィーバーも社会現象と言われるくらい

凄いアイドル的人気でした。
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私とは、63年春初土俵の同期生にあたります

スタートラインでは一緒でしたと言うべきか
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同期生の中では常に先頭を走り、当時の

最年少記録を次々に破り独走するランナー

でした。

いつも比べられ「追いつけ追い越せ」と

切磋琢磨し、引き寄せられるかのように同期

はハイペースで出世していきました…
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恥ずかしながら私が、序二段の地位で優勝し

た時、方や貴花田関は十両でした…

「おめでとう」と言われ嬉しやら恥ずかしい

気持ちでございました…
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きっと他の同期生たちも、常にそんな気持ち

が、何処かにあったのではと思います。
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相撲教習所の時は、無口で他の同期生と話を

することは、ほとんどなかったと記憶して

います。

稽古場では常に黙々と稽古休憩の時も幕下

三段目の教官の胸を借り稽古していました。

私も、二度肌を合わせましたが壁がそのまま

出て来て、土俵から出されたくらい凄い圧力

だったのを覚えています。
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入門の年の冬巡業には、同期生では若貴兄弟

ともう一人と私だけでした。

基本、初巡業ともなると場所取りやらの雑務

ちゃんこ番などしなければいけないのですが

何時も、砂だらけでちゃんこ番をしてました


この時に食器洗剤で髪を洗い油を落として

マゲを縛りあったのは、良き思い出です。
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これも巡業での思い出なのですが…

地方巡業では当時、部屋ごとでちゃんこ番の

場所取りがありました。

私は要領が良かったので、いつも千代の富士

がいる九重部屋からは遠くかつ、良い場所を

取りその横に、当時 若貴兄弟が在籍してた

「藤島部屋」と書いて場所取りしていました


私がいた二所ノ関部屋は当時、貧乏部屋で

藤島部屋は飛ぶ鳥を落とす勢いの人気部屋で

差し入れが凄く、お裾分けを頂いていました
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現役中はあっと言う間に関取になってしまい

私は若い衆という立場。

浴衣生地をもらい「浴衣ごっつぁんでした」

というくらいの会話しか出来ませんでした。

私が、引退する時は一緒に写真を撮って

頂き「お疲れ様」と言って頂きました。
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二場所連続で幕下優勝し十両に上がる鮮烈な

関取昇進から、最後はヒザの大怪我にも負け

ず武蔵丸を倒し「鬼の形相」…

あの時休場していれば、もっと優勝をして

いたはずなのに…

まさに「生き様」を見せて頂きました。

そして、大横綱 貴乃花も引退。

私は、いつか再会する時は「がんばってる」

姿を見せたくて仕事をやって来た気がします
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そして2013年、入門から25年経ちNHKさん

から「同期生」と言う番組を作りたいと…

再会する機会を頂きました!

「元気だった」と優しく声を掛けてくれ

ました。

「おう!元気だった」なんて言える訳もなく

「お久しぶりです」と言う感じでした。

正直「私を覚えていてくれて良かった〜」

が本音でした…力士を辞めても変わらない

ですね〜!
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その日以降、年に二回「同期生会」をして

親交を深めています。
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ほんとに男らしく、優しく、大相撲一筋の

貴乃花親方でございます。
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