小学校の外塀を越えて歩道に傘をさしかけるようにふわふわとあふれるほどに咲いている桜を見るのが好きだったのに、今年はない。


いつの間にか桜の樹が根こそぎどこかに持って行かれていた事に、桜の季節になって改めて気付かされた。塀越しに校舎があらわに見えるのが、なんとも味気ない。

あの桜はどこに行ったのだろうと思っていたけれど、考えれば公園と学校には必ず桜の樹がある。

小学校の前を通るばかりで、校舎の裏側に行った事はなかったけれど、一周回ればどこかに桜は咲いているに違いない。


そんな些細な思い付きでいつもと違う行動をする事にわくわくしてきた。コロナの所為でどこへも行けず、散歩する事だけが唯一の気晴らしのような日々だから、ちょっと違う景色が新鮮に思える。 

初めての道を歩く途中で偶々会う人がどこかこそばゆく、お邪魔しますと勝手に心で挨拶してしまう。

校門のある通りから直角に曲がり、金網の中の奥まで目を凝らしながら歩くけれど、なかなか桜は見つからない。さらに角を曲がると校舎の壁ばかりが続き、そう広くもない運動場が見えてきた。鉄棒があって、倉庫のような建物が見えてきて徐々に落胆が広がってくる。

薄いピンクのふわふわの気配がどこにも見えず、そこで小学校の敷地は終わりのようだった。 

とうとう見つけることが出来ないままに通り過ぎてしまうと思った時、その倉庫の陰に一本の樹があった。

幹は蓆(多分)を巻かれ、先を切られた何本もの枝は包帯(?)を巻かれていた。なんとも痛ましい。移転するために大きな枝は切られてしまったらしい。

それでも切られた枝の先に細い枝が健気に伸びてその先にわずかにピンクの花が咲いていた。手厚く巻かれた包帯(?)も一生懸命に咲いた花にも感激してしまった。

金網越しに見渡してみると、小さい運動場を挟んで、反対側の校舎の横に4本、同じように包帯だらけの樹が見えた。

いずれの樹の先にも少しずつ、淡い花が咲いていた。

ほっとした。


神社の裏の小さな公園に見事に咲き誇る三本の大きな桜の樹がある。背伸びして手を伸ばせば垂れ下がった小さな枝に届いて花に触れることができる。重なるように咲いて広がる大きな三本の樹の真ん中に立つと、一瞬、別世界の住人になる。

時々、その特等席で宴会をしている人たちがいるけれど、今年はコロナの所為か誰も宴会はしていない。代わりにいつもよりちょっと多い子供たちの声が響いている。



 公園から神社の小さな裏山に登る。そこにも数本の桜の樹があって、幾つかのベンチが置いてある。今まで遠くから眺めるばかりで、そこまでは行かなかったけれど、最近は時々行く。

スーパーの帰りに誰もいないベンチに座って、風に落ち始めた桜を見ていた。こんなところでビールでも飲めたらいいのかなと思う。本当はあまり飲めないけれど。一体何年前に桜の下でビールを飲みながら花見をしただろうかと考えたら、とても思い出せそうにない昔だった。

ビールではないけれど、スーパーで買ったアーモンドジュースを飲むことにした。大根とトマトとごぼうと豚肉の入ったエコバック傍らに桜を見ながらビタミンEとカルシウムいりのジュースを飲む。

 なんかいい。

 

そろそろ桜の季節も終わってしまうから、今度は何を探して散歩をしようか。