4コマ
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「ちょっとまたゲームやってんのー? いい加減にしときー!」
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「うっさいわ! 休みやからエエやんけ!」
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「なにいうてんの! アンタの場合、いつでも休みやんか!」
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「 え? 」
今日の一曲目The Chemical Brothers の It Began in Afrika
たっ たっ たっ たったったたーたー
- The Chemical Brothers
- It Began in Afrika
本日のファンキーシット独演会vol.2
- Various Artists
- Fumiya Tanaka Mix Up, Vol. 4
あれは中学3年の頃だった。
自分が通っていた学校の恒例行事で、桜島を一周するというイベントがあった。
桜島は、一周で、約45kmくらいある。
それを一日かけて歩くという行事である。
中学1年、中学2年、と数えて、3回目の年だ。
毎年、同じ事をする。
そして、一日かけて45kmを歩く。
そんな中学3年の桜島だった。
45kmを歩いている時、歩くという行為が、実は反復運動である事に気付く。
人間の動作としては、全く同じ動作を続けて、実はその結果、その積み重ねとして「45km」という数値が弾き出されるのである。
例えば考えて欲しい。
「同じ事をする」とか「反復運動」といった事は、文字で捉えると退屈極まりない事であるかの様に思う。
そこにクリエイティブは無い。
そこに思考は無い。
と、考えるかも知れない。
しかし、周りの景色は変化する。
そして、反復運動がやがて線となり形を生み出すようになると、例えば「ランナーズハイ」といったような快感に変わるのである。
もっと考えれば、日常は反復である。
その中で、何かが線となり、周りの景色は変化するのだ。
そう。
周りの景色を変化させるため、点を線にするために、日常という反復運動が存在するのである。
そして、その事は、何も退屈ではなくてクリエイティブそのものだ。
心臓の鼓動、24時間という一日、朝起きる、夜は眠い。
「バイオリズム」という言葉のように、人間の生活に「リズム」は必ず存在するのである。
そしてその「リズム」は、「日常」という「反復運動」そのものである。
だから、「リズム」は、楽しいのである。
このCDは、「リズム」しか無い。
音楽と呼べる物かどうかは、不明である。
しかし、リズムという日常にまとわりつく一要素を切り取って、そのリズムに身を委ねる。
すると、これ以上に気持ち良いものは無いことに気付く。
日常を楽しむことは、リズムを楽しむ事なのだ。
と、気付くそんな夜である。
本日のファンキーシット独演会vol.1
- スチャダラパー, 光嶋誠, 松本真介, 松本洋介
- 東芝クラシックス 95-97
雑踏とアスファルトの上を颯爽と練り歩くB-BOY度数10%以下。
僕はいつも、このアルバムを聴きながら、新宿というクサレた街に汚されぬよう、そう、それは「フレッシュ」だ。
新鮮かつ冷静な面持ちで、ペタペタと靴を慣らしながら、どこかに歩いて行くのである。
夏は眩しい。
なにもかも、だ。
だからこそ、陰を求める。
時にそれは日陰だったり、陰影だったり。
晴れ晴れとした天候と、晴れ晴れとした人の波に、陰を求めるのである。
そんな陰が、実はこのアルバムだったりするのだ。自分の中で。
だから、自分はこのアルバムを繰り返し聞いている。
特に、「大人になっても(saga mix)」「サマージャム'95」の二曲は、この季節の「陰」を演出するにはうってつけの二曲である。
昼の暑さ、夜の寒さ。
パーティーの始まり、パーティーの終わり。
そう、いつも眩しかったり、いつも暑い物なんて無い。
絶対に終わりや寒さ、センチメンタルは存在するのである。
上に挙げた二曲は、どっちかと言えばパーティーチューンである。
哀愁漂う、パーティーチューンだ。
楽しいパーティータイムにこの曲が流れたら、「嗚呼、このパーティーも終わってしまうんだな・・・」と、センチメンタルになってしまうような。
そんな曲。
全ての物事に付いて回る「終わり」という概念を、例えば「終わらせる」といった表現方法で演出することは簡単である。
しかし、「終わらせずに、終わりを演出する」、それは「陰を演出する」という事である。
「陰を演出する」と言うことは、「奥行きを演出する」という事である。
夏はまだ始まっていない。
だから、僕は今年の夏を演出するために、夏に奥行きを持たせる一つの方法論として、このアルバムをお薦めするのである。
今日のシャッフル一曲目 Mylo の Mars Needs Woman
- Various Artists
- Warchild: Help - A Day In The Life タイトルがいいね。
- 火星人は女性をひちゅよう、ひちゅ、ひ、ひつ、ひう、ひつお、
- ひちょう、hちうおちゅ、つ、 ワーイ ワーイ