背中を向けてで大変恐縮ではございますが
ご参列のみなさま、今日、または昨晩から連日ご参列いただいているみなさま、ありがとうございます。
お別れの言葉、ですが
私としては、永遠のお別れとは思っていないので、祖父へのお手紙、とさせてください。
孫7人の代表として、祖父にお手紙を読まさせていただきます。
祖父に伝えたいことを書いてきたので、祖父に伝わる呼称や言葉づかいで書いてきました。
みなさまには少々わかりにくい部分もあるかと思いますが、何卒ご理解いただけますと幸いです。
おじいちゃんへ
おじいちゃん。
短いような、長いような、、、人生の旅、お疲れ様でした。
ここ数年は、正直、顔を見るたび、会うたびに、もしかしたらこれが最期なのかもしれない。と思っていました。
でも、何回も何回も復活していたおじいちゃん。
まるで最期は自分で決めたかのように、おじいちゃんが旅立った数時間後、矢本には綺麗な虹がかかったそうですね。
私もママから動画と写真をもらったよ。
ほんとに虹を渡って行ったのかなと、思ったら急に実感をして、涙が止まらなくなりました。
おじいちゃんといえば、一言で言えば本当に正義の人、強い人、スーパーマン。私にとってはずっとそうです。
そしてここにいる私たち、孫も、私のママやちかちゃん、あかねちゃん、そしてパパたち、りくちゃんパパも、なおちゃんも、きっとそう思っていると思います。
私が幼い頃、おじいちゃんのお友達に会うと
「いつも憲雄さんは負けず嫌いで、真面目で、努力家だったんだよ。99点のテストをくしゃくしゃにして本当に悔しがっていたんだもの。」
といったお話を何回も聞いたこと、今でもずっと覚えています。
お仕事に対して、いつも200%熱心で、真面目で、努力家。
だからこそ沢山の方達から「先生」「のりちゃん」「まっちゃん」と親しまれて、そして頼りにされていたんだなぁと思います。
そんな姿を見て、私は幼いながらにおじいちゃんはすごい人だな、と思っていました。
昨日のお通夜では、まさかの音声メッセージ。
たくさんの方々が笑って、涙を流していたね。
最後の最後まで、おじいちゃんは私たちのことを想って、きっと今日のことを想像しながら声を、言葉を吹き込んでくれたんだよね。
私も沢山笑って、沢山泣いてしまいました。久しぶりに、元気なおじいちゃんの声が聞けてとっても嬉しかった。ありがとう。
社長、という立場でお仕事をしている姿をいつも近くで見ていたけれど、私たちにとっては、いつも、「最高のおじいちゃん」でした。
運動会、発表会、祖父母参観日、誕生日会、いろいろな行事にいっぱい参加してくれたね。
春夏秋冬、色々な節目で松本家みんなで集まっていたね。
年末は全員でお仏様の前に並んでご先祖様にご挨拶をしたよね。
おじいちゃんが、まるで本当の和尚さんのようにお経を読むので、それが小さい頃は面白くて後ろで笑っていて、よく怒られていたけど、今となっては大切な思い出です。
年度末には、皆の進級をお祝いして美味しいごはんをいっぱい食べさせてくれました。
小学校の通信表、おじいちゃんに見せる時がいちばん緊張したけど、その後におじいちゃんに褒めてもらえる時が1番嬉しかったです。
いつも皆で集まった時には、おふざけをして私たちを笑わせたり、沢山冗談を言ったり、、、いつも真ん中で笑って、松本家の太陽でした。
松本家みんなで、旅行も沢山行ったね。
どの旅行も全部楽しかったけれど、おじいちゃんとの最後の旅行になった2016年のハワイ旅行は、いつまでも忘れられません。
家族皆んな、そして事務所のみんなと行ったハワイ旅行、最高に楽しかったです。
ミドルフライトにも関わらず、しっかり背広を着てリュックサックを背負ってハワイの地に降り立ったおじいちゃんの姿、忘れられません。
また来たいね、また来ようね、そう話をしたことも覚えています。
先日、12/6 運良くわたしはオンラインでお話しすることができました。
いざ目の前にすると何も言えなかったけど、最後にまた一緒にハワイ行こうね、だけは言えたよね。
沢山伝えたいことはあったはずなのに、私が最後におじいちゃんにかけることができた言葉はこれでした。
ほんとに、また一緒にハワイ行こうね。
いつも頼り甲斐のある、元気で、元気なおじいちゃんが、病気と闘っている間、たくさんの人に
「おじいちゃん元気?」
「のりおさん大丈夫?」
と、聞かれました。
最初の入院の2018年から考えると、とても長い闘病生活でしたね。
強いおじいちゃんが、病気に負けるということをうまく受け止められなくて、
元気です。
大丈夫です。
と、誰にでも答えていました。
人に弱さを見せないおじいちゃんだったので、こんな風に答えていたことも「それでよかったよ」と、言ってくれているような気がします。
農家に生まれて、畑をやりながら、大人になってからも、お父さんになってからも、そしておじいちゃんになっても沢山勉強をして、自分で自分の道を切り拓いていったおじいちゃん。
平日は仕事、土日は畑、なんて日々も沢山ありまたしね。
おじいちゃんとやった畑の石広いや、雑草とり、枝豆、とうもろこし、色々な野菜の収穫、大切な思い出です。
一方で私たちには、とにかく勉強をしなさい。
努力をしなさい。
勉強をして損することは何もない。
学ぶことで世界は広がるし、選択肢が広がるんだから、と、学ぶことに対して沢山応援してくれました。
おじいちゃんも機会があれば外国にも出かけて、こんな国だったよ、ここがすごかったよ、なんてたくさんの世界を教えてくれて、沢山の景色を見せてくれたね。
努力をすること、一生懸命頑張ること、それが自分の人生の財産になること、大切なことを沢山教えてもらいました。
私たちが今、こうやって安心して、元気に、自分たちの環境で暮らすことができていること、自分たちの頑張りたいことを頑張れていること、それは全部おじいちゃんが若い頃から沢山の努力をして、頑張って、拓いてくれた道があるからです。
おじいちゃんがいない人生を、この先何十年も歩んでいかなければいけないと思うと、すごく寂しいけれど
それでも明日からもまた頑張ろう、と思えるのは、常に何事も頑張ってきたおじいちゃんを見ていたから、そして頑張ること、努力することをを誰よりも誰よりも、応援してくれたおじいちゃんを、ずっと覚えているからです。
おじいちゃんが今までの人生で誰かを助けてきたり、地域や社会に貢献してきたように、そして家族を大切にしてきてくれたように
私たちも、これからも、努力を惜しまず、何歳になっても学ぶことを忘れずに、頑張って生きていきます。
みんなが知っている通り、事務所には大きな大きな向日葵の花が描かれていますが
向日葵の花言葉には「あなたを幸せにします」という花言葉があるそうです。
わたしたちは、おじいちゃんから、十分幸せにしてもらいました。
本当にありがとう。
おじいちゃんが大好きだったおばあちゃんのことは、わたしたちがこれからも幸せにします。
だから安心して、そちらから見ていてね。
おじいちゃんの孫として生まれてきたこと、本当に嬉しかった。
最高の家族、おばあちゃん、おじさん、おばさん、いとこたち。
出会わせてくれてありがとう。
しばし、お別れですが。また会いましょう。会えるよね。たまには近くに来て、見守っていてください。
長い人生、本当にお疲れ様でした。
ずっとずっと、大好きです。
令和5年 12月10日 孫代表
まつもとなな
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